TBS系「渡る世間は鬼ばかり」やNHK連続テレビ小説「おしん」など人気ドラマを手掛けた脚本家橋田寿賀子さんが急性リンパ腫のため、4日、亡くなった。95歳だった。

橋田さんは90歳を過ぎても仕事のない日には、近所のプールで歩くなど健康を気遣い、年齢を感じさせない元気な姿を周囲に見せていたが、年齢による体力の衰えが引き金になってしまったようだ。

脚本家として数々の名作を世に送り出し、視聴者を長年にわたって楽しませてきた橋田さん。数年前から人に迷惑をかけたくないと、安楽死を望んでいることを明かしていたが、病と闘い抜いた末、静かに天国に旅だった。

橋田さんは50歳を過ぎてから水泳を始め、晩年はプールの中でウオーキングすることで健康を維持してきた。06年には脊柱(せきちゅう)管狭窄(きょうさく)症とじん帯骨化症の手術を行った。19年2月6日には好きな船旅で訪れたベトナムでマロニー・ワイス症候群を発症。食道と胃がつながる部分の粘膜が傷つき、出血する病気になった。現地の病院に救急搬送されたが、下血がとまらず、急きょ2月9日に帰国し、都内の病院に入院したが2月19日に退院。その後は、再び、19年5月に都内で行われた橋田賞の授賞式に出席するなど元気な姿を見せていた。

プライベートでは船で海外を旅することを愛し、「旅行の費用をかせぐために仕事をするの」と言うほどだった。ひと仕事を終えると客船で北極や南極までも出かけた。

関係者によると18年には世界一周の船旅に出かけたとされる。ただ、18年7月の橋田賞授賞式では、世界一周の船旅から帰ったばかりだったせいか、日頃の体のケアも十分できなかったことで、足腰が弱り、登壇することを拒んだという。この頃から周囲も橋田さんの体の衰えを感じ始めていたという。

仕事では80歳を過ぎてからもバイタリティーを失わず、女性の機微、家族の絆を描いてきた。パワフルな女性で、本業以外にフジテレビ系バラエティー「笑っていいとも!」にもレギュラー出演するなど、脚本家には珍しく、テレビ出演が多く、明るい性格が視聴者に親しまれてきた。代表作の1つ「渡る世間は鬼ばかり」は90年の第1シリーズから10年にスタートした第10シリーズ(最終シリーズ)まで、長期間、視聴者に愛された。その後も12、13年、15~18年とほぼ毎年のように特番として放送された。時代の流れを的確につかみ、その時代、その時代の家族を丁寧に描き、視聴者の共感を得てきた。同作が生まれたのは、「橋田文化財団」設立に向けた資金作りのためだった。その財団は89年に亡くなった夫の遺志だった。今頃は天国で夫と久々の再会を喜んでいるに違いない。

 

◆橋田寿賀子(はしだ・すがこ)本名岩崎寿賀子。1925年(大14)5月10日、京城(現ソウル)生まれ。日本女子大国文科、早大芸術学科を卒業。49年に松竹脚本部入社。作品には恵まれなかったが、石井ふく子プロデューサーに出会い、59年ごろからテレビドラマの脚本を書く。60年に松竹退社し、64年「愛と死を見つめて」「ただいま11人」、期間平均視聴率52・6、最高視聴率62・9%を記録した83年の連続テレビ小説「おしん」など多くのヒット作を生む。61年にTBS勤務の岩崎嘉一氏(のち制作局局次長)と結婚するが、89年に死別。88年に紫綬褒章。92年、私財を投じ、後進の育成を目的に橋田文化財団を設立。04年には勲三等瑞宝章を受章。血液型B。