「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など日本のドラマ史に残る作品を残してきた脚本家橋田寿賀子(はしだ・すがこ)さん(本名・岩崎寿賀子=いわさき・すがこ)が4日午前9時13分、急性リンパ腫のため、静岡県熱海市内の自宅で死去した。95歳。故人の遺志により通夜、告別式は行わず、5日に荼毘(だび)に付された。お別れの会も遺志に従い行われない。日本のホームドラマを確立、女性を主人公とした名作を残し、出演者の固い絆は橋田ファミリーとも呼ばれた。

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理事長を務めていた橋田文化財団によると今年2月下旬、急性リンパ腫治療で都内病院に入院した。3月中旬自宅のある静岡県熱海市の病院に転院。今月3日自宅に戻り翌4日、娘同然だった泉ピン子(73)らに見守られ静かに息を引きとった。長年コンビを組んだ石井ふく子プロデューサー(94)によると創作意欲は衰えず、コロナ禍で変化した家族の形を書きたいと話していたという。

50代で水泳を始め晩年はプールでのウオーキングで健康を維持した。クルーズ船旅行好きで19年2月にはベトナムへ。現地でマロリーワイス症候群にかかり下血、緊急入院した。同年11月にはテレビ朝日系「徹子の部屋」で「もう思い残すことはないから今死ねたらいいと思いました」。プライベート機で帰国したといい「費用が二千数百万円でしたけど、全部保険で。今度、世界一周に行くときに一番高い保険に入ってお返ししなきゃ」と笑わせた。

06年には脊柱(せきちゅう)管狭窄(きょうさく)症などの手術をうけた。船旅を愛し「旅行費用をかせぐために仕事をするの」といい北極や南極までも出かけた。ただ、18年7月の橋田賞授賞式では世界一周船旅から帰ったばかりで足腰が弱り登壇を拒んだという。この頃から周囲も体の衰えを感じ始めたという。最近では19年5月、都内で「第27回橋田賞」表彰式に、同9月「渡る-」特番の会見に出席している。

64年TBS東芝日曜劇場「袋を渡せば」で脚本家デビュー。以来55年以上第一線を走った。83年NHK連続テレビ小説「おしん」は最高視聴率62・9%を記録し社会現象に。大河ドラマも「おんな太閤記」「いのち」「春日局」と3作手掛けヒット。TBS系「渡る世間は鬼ばかり」は90年から20年にわたり、全511話というテレビ史に残る作品となった。20歳で終戦を迎えた経験から「百年の物語」「ハルとナツ 届かなかった手紙」など戦争に翻弄(ほんろう)された庶民を描いた名作も残した。

80歳を過ぎてからもバイタリティーを失わなかった。フジテレビ系「笑っていいとも!」にもレギュラー出演、明るい性格が親しまれた。時代の流れを的確につかみ、その時代の家族を丁寧に描き共感を得た。「渡る-」が生まれたのは「橋田文化財団」設立に向けた資金作りのため。その財団は89年に死去したTBSプロデューサーだった夫の遺志でもあった。今頃は天国で夫との再会を喜んでいるにちがいない。

◆橋田寿賀子(はしだ・すがこ)本名岩崎寿賀子。1925年(大14)5月10日、京城(現ソウル)生まれ。日本女子大国文科、早大芸術学科卒業。49年松竹脚本部入社。石井ふく子氏に出会い64年「愛と死を見つめて」や「ただいま11人」などTBS作品でヒットを生む。NHK「となりの芝生」では深刻化した持ち家、嫁姑問題、78年のNHK「夫婦」では老年期の親子関係を描き人気脚本家に。61年TBS勤務の岩崎嘉一氏(のち制作局局次長)と結婚。89年死別。88年紫綬褒章、20年文化勲章。92年、私財を投じて後進の育成を目的とした橋田文化財団を設立し、優れた脚本家、テレビ作品、俳優らに橋田賞を授与している。