ギリシャ彫刻のような顔立ち。男役の中の男役と言われる「風と共に去りぬ」のレット・バトラーを何度も演じ、故春日野八千代さんの後継として、後輩の生きた教科書として、後輩に“ひとつの手本”を示し、導いてきた。

雪組トップから異例の専科入り。主演格の専科スターとして、劇団理事にも名を連ねた。昨年理事を退任し、今春、突然の退団発表だった。「当たり前だった存在が突然、失われる」衝撃。宝塚歌劇ファン全体にとって、激震だった。

【復刻 2011年「寝癖がついてボサボサ」でもダンディー】はこちら>>

今年3月18日に行われた退団会見で「私の心の中に『退団しよう』という時がやってきたことに気づきました。心に素直に従おうと、自然に。昨年の9月末から10月頃にはっきりと(自身の心の中で)決まった」と話していた。

ちょうど、専科の先輩だった松本悠里さんが退団を発表した頃、轟も大きな決断へかじを切っていたようだ。107周年の劇団において、大きなひとつの過渡期を痛感させられた退団発表だった。

【復刻 2013年「包容力も存在感も大好き」脳裏に描くショーン・コネリー】はこちら>>

端正な顔立ちに加え、ストイックに、繊細に「男」を極めてきた轟。海外作の上演時、外国人の演出家が「女性だけの劇団と聞いていたが、男性がいる」と話したという逸話も残る。それほどに、「男役」に徹してきた。

美学を貫き通して退く意思は固く、今回、最後の芝居でも、感傷を押さえ込み、理想の男性像のひとつを作り上げようとしている。そして、その美学は生き様にも通じる。

【復刻 2014年「野菜ジュースは苦手」も・・・日常でも不屈精神】はこちら>>

通常、トップの退団時には、宝塚大劇場、東京宝塚劇場の千秋楽前日からサヨナラショーを別途上演し、最終日には大階段を下りてのあいさつがある。コロナ禍以前なら、劇場周辺に真っ白な衣装に身を包んだ数千人のファンが待機し、最後の“出”を見送るパレードもあった。

【復刻 2015年「小学生の時、友だちがいじめられ」幼い頃から強かった正義感】はこちら>>

だが、その引退セレモニーを辞退。退団会見でも、その真意を「雪組トップとして退団するのでなければ、大階段を下り、サヨナラショーをすることは『ない』と、決心しておりました」と明かしていた。

雪組トップから専科へ移った時点で、退団時のショーはしないと決めていた。「トップとして退くのではない」「サヨナラショーはトップの退団時のみに許されるもの」という自身の原点、美学を変えるつもりは一切なかった。個人的には寂しい思いはある。でも、その見事なまでの潔さは、とても轟らしいとも思う。

【復刻 2016年「今も必死」下級生からも刺激受ける理事スター】はこちら>>

代わって、ディナーショーでファンに別れを告げる。それでもやはり悲しく思う人もいるかもしれない。だが、轟自身は「(宝塚に)残っていなければ、こんなに多くの人、作品と出合うことはなかった。(専科へ)行って正解だった。あらためてラッキーだった」と、感謝の思いを胸に最後の芝居に臨んでいる。【宝塚歌劇担当・村上久美子】