落語家で人間国宝の柳家小三治(やなぎや・こさんじ)さん(本名郡山剛蔵=こおりやま・たけぞう)が7日午後8時、心不全のため都内の自宅で亡くなった。81歳。

10日、落語協会、所属事務所が発表した。大ネタから滑稽噺(こっけいばなし)まで絶妙な間合いで独自の世界観を作り、落語好きから初めて聞く者までを魅了する名人だった。故人の遺志により、葬儀は密葬で営まれ、お別れの会を行う予定はない。

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所属事務所によると小三治さんは今月2日、東京・府中市で落語会に出演し「猫の皿」を口演した。結果的にはこれが最後の高座になったが、体調に目立った変化はなかったという。事務所代表の倉田美紀氏は「本人が一番びっくりしていると思います。俺、なんでこんなところにいるんだろう、って」と話した。

最後の高座から亡くなる日まで食欲もあり好きなものを食べ、散歩に出掛けるなど普段通りに過ごした。倉田氏は「6日夜の電話でも元気で『もっと落語をやりたいから、頑張る』と言っていました」と振り返った。7日夜に妻が部屋で倒れている小三治さんを発見し119番。救急隊員が駆け付け病院に搬送されたがすでに蘇生措置などを行う状態ではなかったという。

今年3月、腎機能の数値に問題があり約3週間入院したがすでに投薬治療は終えており、亡くなったこととの因果関係は見つからないという。倉田氏は「入院前はいろいろな数値が落ちていましたが元気になっていました。(亡くなったことに)主治医の先生も驚いていました。まだまだ落語ができるかなと思っていたところでした」と話した。

来年まで全国各地で落語会が予定されていた。最近は寄席に出ることはほとんどなかったが、秋に入りテレビ番組収録のため新宿・末広亭を訪れた時「やっぱり寄席はいいね。また出たいね」と話したそうで、精力的な活動を考えていた。

ただ、もともと体が丈夫な方ではなかった。持病のリウマチ、糖尿病と闘い17年8月には「変形性頸椎(けいつい)症」で手術。本人によると「首の骨を並べ替える大手術」だった。同9月の復帰高座では「これからも一生頑張ります。もっと生きてお話を聞いてもらいたい」と力強く語った。ほかにも、物忘れの治療を受け「アルツハイマーの疑いがあると言われた」と明かしたこともあった。

小三治さんが登場すれば、落語の世界が出現した。大ネタ、滑稽噺(こっけいばなし)、前座噺まで、聴く人をあっという間に落語の世界に引き込んだ。緊張が高まった中、ふっと肩の力が抜けるような一言をぼそっと言うこともあれば、一気にサゲまでもっていくことも。緩急さまざまで、多彩だった。

若手の育成にも力を注いだ。10年に落語協会会長に就任すると、落語家の昇進に関しては実力を重視する方針を打ち出し、実行した。14年に体調面の不安もあり退任したが常に落語界全体を見ていた。背負ってきた人気や責任の大きさをあらためて感じる。

 

小三治さんという人

▼生まれ 1939年(昭14)12月17日、東京都に生まれる。

▼落語家に 都立青山高で落語研究会に入部。ラジオ東京(現TBSラジオ)「しろうと寄席」を15週連続で勝ち抜いた。大学受験に失敗して浪人中だった時、小学校教師の父親の猛反対を押し切って、59年5代目柳家小さんに入門。

▼昇進と名前 前座名「小たけ」。63年に二つ目に昇進して「さん治」。69年の真打ち昇進後、10代目「柳家小三治」襲名。出囃子は二上がりかっこ。

▼受章など 05年紫綬褒章。14年に人間国宝に認定。10~14年落語協会会長。

▼多趣味 スキー、カメラ、ゴルフ、オーディオ、塩、はちみつ、俳諧など多数。バイクは落語家仲間と作ったツーリンググループ「てんとうむし」で全国をめぐったり、ボウリングはプロテスト合格まであと5点のハイスコアを出した。

▼マクラ 本題に入る前、身の回りのことなどを話題にするマクラが人気で、マクラだけ何十分も話すこともしばしば。マクラに特化した速記集、CDも。

▼家族 妻は染色家、次女は文学座の女優郡山冬果。