先日、2009年(平21)に亡くなった落語家の5代目三遊亭圓楽さんの十三回忌法要を取材した。6代目円楽(71)や好楽(75)ら三遊一門の面々が参加していた。

法要では、6代目円楽が法要をまとめていた。墓前に皆が集まると「このお墓に来るといつも思い出すのですが、(圓楽さんが)『スウェーデン御影で墓作ったんだ』って生前に自慢していましてね。お披露目の時に伺いましたらば、今は小さなお墓になっていますけど、この倍はあったでしょうな。その上に書いてありましたのが、『嗚呼名人』。(全体で)『嗚呼名人 円楽の墓』となっていたんです。当人どこで気が引けたか、真っ二つに切って、ちいちゃなお墓になりました。そういう常識はお持ちのお師匠さんでございました。名人が恥ずかしかったのか、よくはわかりませんけど、皆さんも気持ちの中に思い出がたくさんあると思います。その思い出を愛していただいて、思い出話供養していただきたいと思います」と笑いを織り交ぜた小話を披露した。

円楽は圓楽さんの言葉として「常々言っておりました『富士の山は周りに低い山があるから目立つんだ。底辺を広げろといっていました』」と紹介していた。その言葉どおり、法要には、圓楽さんのひ孫弟子にあたる若者も参加していた。

円楽は「落語家というのはすごいなと思うのは、コロナ禍で辞めたというのは聞いていません。みんなで踏ん張っていますので、『不要不急』が、『要、急』となる時代に、本当に落語の笑いというものが要求される時代を待ちたい。来年辺りから出口が少しずつ見える。忘れられたところをどんどん攻めていきたいと思いますのでよろしくお願いします」とも語っていた。

湿っぽくなりがちな法要でも、笑いを忘れないはなし家たち。落語家の取材を担当する機会はほとんどなく、不安な気持ちで現地に行ったが、記者も含めて一体感のある現場だった。