作詞家・喜多條忠(きたじょう・まこと)さん(本名同じ)が11月22日午前6時、肺がんのため横浜市内の自宅で死去した。74歳。

   ◇   ◇   ◇

大柄で一見強面(こわもて)だが、繊細な人だった。大学の先輩で親しくさせていただいた。作詞について聞くと「自分の身の丈いっぱいの、今の力を確かめるように、ここまでしかできないのか、これ以上できるのかと、いつもそのギリギリを戦っている」と話してくれた。

若い時にも演歌を書いたことがあった。川中美幸がまだ春日はるみだった時に「寒椿の島から」を書いた。その時の逸話をラジオで語ったことがある。船便しかない島の遠さを、新聞が3日も遅れて届くと表現した。「人生いろいろ」「珍島物語」などで知られる先輩の中山大三郎氏に「お前は演歌書けない」とあきれられた。そして「(作詞家の)星野哲郎は『3日遅れの便りを乗せて』(アンコ椿は恋の花)と1行で表現したのに、お前は3行も使っている」と指摘された。その時、演歌の奥深さを痛感したという。

日本作詩家協会会長の要職も務めた。作詞家について「ヒットしたとか、しなかったではなく、自分が送り出した歌が、たったひとりでも、これは自分の歌だと言ってくれる人がいればいい」と話した。阿久悠氏、なかにし礼氏とはひと味違う作詞家だった。【笹森文彦】