かぐや姫の「神田川」などで知られる作詞家・喜多條忠さん(享年74)を「偲び送る会」が先月下旬に、都内で営まれた。作家仲間、歌手、音楽関係者など約500人が参列した。私も仕事だけでなく、大学の先輩でもあり親しくさせていただき、出席させていただいた。

喜多條さんの遺作となった「獨(ひとり)り酒」を歌った石川さゆり。「蝉時雨」や「凍て鶴」などを歌った五木ひろし。喜多條さんが「肱川あらし」(伍代夏子)で日本作詩大賞を獲得した際に司会を務めた徳光和夫さん。そして発起人の1人で、「神田川」を歌った南こうせつらが、喜多條さんをしのんだ。

喜多條さんとの出会いなどを語ったこうせつは、五木とともに遺影の前で「神田川」を披露した。

喪主の妻輝美さんは「時々は思い出して、愛のある悪口を言ってあげてください。皆さまが忘れない限り、喜多條は生きている。私はそう信じています」とあいさつした。ユーモアを交えた、とても心に残る喪主のあいさつだった。

会は喜多條さんの在りし日の姿がスクリーンに映し出される中、参列者が1人1人献花した。そして五木の音頭による献杯は、配られたお茶だった。コロナ禍を意識してのことだろう。とてもシンプルな会だったが、逆に親近感があふれる、喜多條さんらしい会だったと思う。

音楽関係者の「送る会」に出席したのは久々である。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めた20年から、数多くの歌手、作詞家、作曲家、編曲家、演奏家らが亡くなった。そのほとんどの方々が密葬や家族葬で、「後日に」と言われた送る会などはほとんど行われていない。音楽関係者だけでなく、俳優など芸能関係者も同様である。

そんな方々には、お別れをしたい数多くのファンがいる。青春の思い出をもらった人、歌や演技で勇気づけられた人、絶望や挫折から立ち直った人…。もちろんコロナ禍で仕方ないことなのだろうが、なんとかお別れの場を考えてほしい。きっとそれは故人のためでもあると思う。【笹森文彦】