歌手で女優、作家の中江有里(48)が25日に29年ぶりのフルアルバム「Impression-アンプレッシオン-」をリリースする。20日には小説「水の月」を出版した。来月5日に東京「JZ Brat Sound of Tokyo」で、同24日に大阪「MUSIC SQUARE 1624 TENJIN」でライブを開く。コロナ禍、母の死などを経ながらも、精力的に活動する“今”を語った。

小説「水の月」は、月刊「潮」の20年8月号から22年1月号まで連載した。幼い頃に両親の離婚で離ればなれになった姉妹。姉は父に、妹は母に引き取られた。互いに成人して、母ががんになり妹から姉に手紙が届く。長らく離れていた2人は、ほぼメールで往復書簡を交わす。

中江 メールとか手紙って、なんとなく身の上を明かすのには、すごくふさわしい形だなって思って。家族でありながら、思いを全然共有できなかった2人が心の内を明かしていくのは、こういう形じゃないかなと思ってメールという形を取りました。読んでいただく方にも、2人の心情をのぞき見るような感じで興味を持ってもらえるのかなと思います

連載開始直後の20年8月には、故郷・大阪に離れてがんと闘っていた母親を69歳で亡くした。

中江 私は離れていたので、ほとんどは父が見てくれたという感じなんですけど。ただ、この小説に書いてある母親の病気の進行というか、発覚してから進行して亡くなるまでの過程というのは、ほぼリアルに書いてます。だけど、その周りで起こる出来事は全部フィクションだし、設定もフィクションです

母親の病気が分かったところで、連載の企画が持ち上がった。

中江 母のことを書いておこうっていう気持ちはあったんです。それには、ここがいいのかなと。母にも尋ねたら、書いても構わないと言ってくれたので。書くことによって、自分自身が冷静に観察するような気持ちで、母の病状を見ていこうと。そうじゃないと、自分自身がパニックになりそうなところがあったんです。それもあって、小説として書いてみようと思ったんです

作品の中には病気の告知をめぐる問題も提起されている。

中江 今は医者が、あまり隠さないですよね。本人も知りたいと思うし。だけど、私は母に余命のことは言わなかった。本人は、どう思ってたか分からないですけど。でも、そんなのは調べれば、なんとなく出てきちゃう。でも、母も聞かなかったです

がんを患っていた母親自身が、抗がん剤治療から穏やかな死を迎えるための緩和治療に変わる時を医師から告げられた。

中江 その時に「あと1、2カ月です」ってはっきり言われて。それを本人が聞いて、私にそれを伝えるまでに半日ぐらい時間がありました。多分、昼間に聞いて、夜中に連絡があったんです。その夜中に至るまでの母の気持ちっていうか、葛藤というか。変えられないけれども、言わなきゃいけないと思ったんだろうなと

15歳で歌手、女優になるために上京。母親とは30年以上離れて暮らした。

中江 結局、母と寄り添いたいと思っていたままです。この小説でもそうですけど、長く離れた母親が間もなく死んでしまうっていうことになって、初めて距離を詰めて気持ちを分かり合いたい、もっと不安を取り除きたいとか、いろいろなことを思うわけです。でも、結局、謎めいたまま。死というのは、やっぱりその人のものなんですよね。死ぬことで、すごく不安な気持ちとかも、なかなか聞くことができなかった。聞いたところで、自分が言われている訳じゃないから、実感として分かるものでもないんだなって。むしろ、分からないということが浮き彫りになったっていうことです。【小谷野俊哉】(続く)

◆中江有里(なかえ・ゆり)1973年(昭48)12月26日生まれ、大阪府出身。1989年(平元)JR東海のCMでデビュー。90年のTBS系「なかよし」で女優デビュー。91年にはシングル「花をください」で歌手デビュー。92年の日本テレビ系「綺麗になりたい」で連続ドラマ初主演。95年のNHK連続テレビ小説「走らんか!」ではヒロイン。13年に法大通信教育部文学部日本文学科を卒業。19年から歌手活動を26年ぶりに再開。21年にミニアルバム「Port de voix」をリリース。