俳優、テレビ朝日系クイズ番組「100万円クイズハンター」の司会者として活躍し、4月16日に老衰のため85歳で亡くなった柳生博さんのお別れの会・セレモニーが先月行われた。ゆかりのあった著名人も参列したほか、柳生さんがオーナーを務めた山梨・八ケ岳倶楽部の常連客が多く押し寄せた。

お笑いコンビ、爆笑問題が献花し、番組での共演以来、同倶楽部に20回近く訪れたというお笑いトリオ我が家はセレモニーにも足を運んだ。俳優平泉成(78)フィギュアスケート元世界女王の安藤美姫さん(34)がビデオメッセージを送った。また、訃報の直後には脚本家倉本聰氏(87)らの献花もあったそうだ。

「お酒が大好き」「お話が長くて、なかなか止まらない」「いつも笑顔でみんなに平等」と多くの人が口をそろえた。同倶楽部で自然に囲まれながら、多くの人と語らい、最期まで幸せな日々を送った柳生さんの様子が、柳生さんと直接お話をしたことのない私でもわかった。

数十年、柳生さんと親交がある夫婦がセレモニーで思い出を話した。「“八ケ岳倶楽部”という名前なので、ゴルフ好きな私たちはゴルフ場が出来ると大変喜びました。そしたら全く違いました。それでも、ご縁があって、柳生一家とは長くお付き合いをさせてもらいました」と言った。そして「みなさん柳生さんの”良い”お話をしてますけど」と話し始めたのが印象的だった。「私は柳生さんとけんかしたことがあります。あんなに、すてきな奥さまが隣にいて、口うるさい女が物珍しかったのでしょう。言い合いになりました」と笑わせた。

柳生さんの次男・宗助氏も小学生の頃から何度も語り合ったという。宗助氏は商社勤めのサラリーマンだった。「父は倶楽部に来てほしかったのだと思う」という。「大学時代も休学して倶楽部の手伝いをしました。でも自分がやったことが良いことであれ悪いことであれ、父親の影響があるのがなんか嫌だった」。全然知らない仕事をしたくて、商社に入社、その後は外資系の会社に転職した。宗助氏は「子どもっぽいな」と言われたという。

柳生さんは幼少期、祖父から「悩んだら、野良仕事をしなさい」と教えられていた。また、同倶楽部で過ごす、柳生さんは常に前向きだったという。たくさんの自然に囲まれ、愛するお酒とともに、多くの訪問客や宗助氏と語らった柳生さん。野良仕事で取り戻す“人間らしさ”を伝えたかったのかもしれない。【加藤理沙】