日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーとしても知られる落語家三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名会泰通=あい・やすみち)が30日、肺がんのため亡くなった。72歳。葬儀は近親者で執り行い、後日、お別れの会を行う。

8月下旬に軽度の肺炎で入院したが、所属事務所によると軽快し肺がんの治療を再開したばかりだった。

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毒舌と腹黒キャラでお茶の間に親しまれた円楽さんの晩年は、病との闘いだった。18年に初期の肺がんで手術を行い、19年には脳腫瘍が見つかった。今年1月には脳梗塞を発症し5月まで入院した。

リハビリ中だった円楽さんは8月12日、国立演芸場の8月中席で203日ぶりに高座復帰した。涙をぬぐいながら「みっともなくてもいい。死ぬまでやります」と宣言、大きな拍手を受けた。

中席10日間のうち4日間出演、同20日の千秋楽で「目薬」を口演したのが最後の高座となった。車いすでハンドマイクを使っており、声もかすれ気味だった。「この2~3日ゼイゼイ、ヒイヒイいってる。肺炎ではないが、肺に水がたまっている」と明かし、観客も心配そうに見守っていた。それでも「まともな長講1席ができるようになったらという欲がある」と目標を語り、出番後には「人前はいいね。焦らずやっていきます」と笑みを見せた。

千秋楽から6日後、軽度の肺炎で入院した。ただ、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことだったという。亡くなる前日は電話で会話できる体調だったという。円楽さんはこれまで何度も大病から復帰している。脳梗塞での入院を振り返り「ICUから3度目の復帰です」とネタにするほどだった。今回もファンは復帰を願い、信じていた。

健康には人一倍気を使ってきた。以前はヘビースモーカーだったが、09年に師匠で5代目三遊亭圓楽さんが肺がんで亡くなった後に禁煙、定期的に健康診断も受けていた。18年に肺がんが見つかったのも、健康診断だった。

また、高座や仕事を何より大切にしていた。肺がん手術の時は1週間の入院で高座に復帰した。「笑点」の収録がない週に手術予定を組むほどだった。19年の脳腫瘍の治療時には、病院から仕事に向かった。

体を大事に、落語を大事にしてきたのは、円楽さんが「3人の親」への感謝を忘れなかったからだ。まずは両親、2人目は落語家として育ててくれた師匠圓楽さん。3人目は18年7月に亡くなった桂歌丸さんだ。

8月の復帰高座では、夢で見たお花畑の話を披露した。圓楽さんらしき馬の手綱を、歌丸さんが引いているのに出会った。その1頭と1人が、分かれ道で左右に分かれたそう。円楽さんは「俺はどっちにも行かず、戻ってきた。目が覚めたらICUだった」。落語への情熱を持ち続けた円楽さん。夢で見た道の先で、先代と歌丸さんと掛け合いをしているかもしれない。

◆三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)本名会泰通。1950年(昭25)2月8日、東京生まれ。青学大法学部在学中の70年、5代目三遊亭圓楽さんの目にとまり入門、楽太郎を名乗る。前座修業をしながら大学を卒業。76年に二つ目昇進。77年に日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバー。81年に真打ち昇進。2010年、6代目円楽襲名。「博多・天神落語まつり」「さっぽろ落語まつり」などプロデュース。16年に得度。受賞は、79年に放送演芸大賞最優秀ホープ賞、81年ににっかん飛切落語会努力賞など。ゲートボール歴が長く、日本ゲートボール連合アドバイザーとして大会プロデュースも。

○…都内の円楽さんの自宅前には30人ほどの報道陣が詰めかけた。自宅はひっそりとしていたが、時折関係者が出入りし、犬の散歩をしながら花を手向けにやってくる近隣住民もいた。近所に住む人によると、車いすに乗るなど療養中の円楽さんが生活しやすくなるよう、バリアフリー工事を進めていたという。また、午後8時過ぎ頃、笑点メンバーの三遊亭好楽(76)が家族の家を訪問し、約40分滞在。取材に応えることなく、タクシーで去った。三遊亭五九楽(61)も訪れた。