日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーとしても知られる落語家三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名会泰通=あい・やすみち)が30日、肺がんのため亡くなった。72歳。

三遊亭円楽さんは落語を愛した人だった。レギュラー出演した「笑点」では腹黒で友達もいない嫌なキャラクターを引き受けたが、その実は芯の通った、気配りの人だった。22歳で落語家となって50年、ブレない落語家人生を貫き通した。

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円楽さんは青山学院大在学中に、5代目三遊亭圓楽さんのかばん持ちとなった。2年後、前座として正式に弟子入りし、昭和の名人三遊亭円生さんの孫弟子ともなった。円生さん、5代目圓楽さんともに気難しい人だったけれど、円楽さんはその懐に入り込み、かわいがられた。二つ目に昇進した直後の77年、27歳の若さで「笑点」レギュラーに抜てきされ、45年もの間、人気番組を支えた。腹黒キャラで、桂歌丸さんとは「このハゲ!」と毒舌の掛け合いを繰り広げたが、それは歌丸さんとの信頼関係があり、ともに「笑点」を愛したからできたことだった。歌丸さんが亡くなった時は「頼りになる人がいなくなった」と泣きじゃくった。

1979年に円生が「三遊協会」を設立し落語協会を離れた時も、円生さんの死後に5代目が「大日本すみれ会」を結成して一門だけで独自の活動を展開した時も、大師匠、師匠の傍らにいて、献身的に支えた。寄席に出られない中、全国各地に出かけて落語会を開き、落語家としての力を蓄えた。

そんな円楽さんの原点は落語への愛だった。学生時代の1968年は学生運動が吹き荒れた時期で、全共闘シンパとして活動した。闘争に疲れた時に出会ったのが、小さいころから親しんだ落語だった。落語に救われ、生涯をかけての「仕事」になった。

毒舌キャラだったけど、誰からも愛された円楽さんは、協会を超えた人脈の広さで、2007年から「博多・天神落語まつり」をプロデュースし、札幌、東京でも同様の落語祭を開催した。晩年、入退院を重ねる中でも全国行脚を続け、落語界の底上げと活性化に最後まで力を尽くした。

「浜野矩随(はまののりゆき)」など師匠譲りの古典落語を得意とし、政治や社会問題を風刺するまくらも円楽流だった。弟子は10人を超え、長男で弟子の三遊亭一太郎は今年6月に真打ちに昇進した。タレントとして活躍する伊集院光も2番目の弟子だった。

几帳面な人でもあった。さまざまなことをメモした手帳を大事にとっていた。20年~30年分にもなった。自らに「5年計画」を課し、節目ごとに物事を決めていた。円生襲名もメモしていたのだろうか。円楽襲名が60歳だったように、75歳が襲名の時期になるはずだったが、夢はかなわずに終わった。【林尚之】

◆三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)本名会泰通。1950年(昭25)2月8日、東京生まれ。青学大法学部在学中の70年、5代目三遊亭圓楽さんの目にとまり入門、楽太郎を名乗る。前座修業をしながら大学を卒業。76年に二つ目昇進。77年に日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバー。81年に真打ち昇進。2010年、6代目円楽襲名。「博多・天神落語まつり」「さっぽろ落語まつり」などプロデュース。16年に得度。受賞は、79年に放送演芸大賞最優秀ホープ賞、81年ににっかん飛切落語会努力賞など。ゲートボール歴が長く、日本ゲートボール連合アドバイザーとして大会プロデュースも。