1993年(平5)の映画「月はどっちに出ている」などで知られる、映画監督の崔洋一(さい・よういち)さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため、東京都内の自宅で亡くなった。73歳だった。

日刊スポーツの取材に、関係者が明らかにした。葬儀は家族葬として密葬の形で執り行うという。

崔さんは1949年(昭24)に長野県佐久市に生まれ、大島渚監督の76年「愛のコリーダ」、村川透監督の78年「最も危険な遊戯」で助監督を務めた。83年にベネチア映画祭に出品した「十階のモスキート」で監督デビューした。「月はどっちに出ている」では、53もの映画賞を受賞し一躍、脚光を浴びた。

2004年(平16)には、日本映画監督協会第8代理事長に就任。翌05年には、ビートたけし主演「血と骨」で第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞した。

今年1月に、がんで闘病中だと公表した。4月には東京・テアトル新宿で、「最も危険な遊戯」主演の松田優作さんが亡くなった1年後の90年12月3日に、優作さんと縁が深い崔さんが構成・演出して開催したライブを再編集した「松田優作・メモリアル・ライブ」を上映したイベント「ラスト・ショー」を開催した。

その際、日刊スポーツなどの取材に応じ、19年にぼうこうがんが見つかり、20年4月に全摘手術を受けたものの21年春に肺、右の腎臓、リンパ節などに転移していることが判明。抗がん剤治療を続けてきたが、肺炎になったため一時、中断も回復してきたため、近々、抗がん剤治療を再開すると話していた。

崔さんは、1週間、同イベントを行った後「よく、持ったと思うよ。途中、1回くらい休むことになっちゃうかと不安だったけど、何とか持った」と語った。その上で「始まっちゃえば、これも僕の現場かなという思いが強い。撮影で演出している現場じゃないんだけど、僕らは、イッツ・ア・ショウタイム、ショービジネスの世界で生きてきたから7日間、走るエネルギーになった。皆さんの前に自分を出すというのは、最後になると思うんですけど…面白いですね」と笑みを浮かべていた。

一方で同イベントで上映した、「松田優作・メモリアル・ライブ」を支えた水谷豊、桃井かおりらに新規インタビューを行った、20年のドキュメンタリー「優作について私が知っている二、三の事柄」を引き合いに「これを、出来れば私の最後の作品にしたくない」と語った。ただ、結果的に同作が遺作となった。

◆崔洋一(さい・よういち)1949年(昭24)7月6日、長野県佐久市生まれ。東京朝鮮中高級学校卒業後、東京綜合写真専門学校中退し、映画界へ。主な作品は95年「マークスの山」99年「豚の報い」02年「刑務所の中」04年「クイール」。09年の「カムイ外伝」は、前年08年の撮影で出会った松山ケンイチと小雪が、11年4月に結婚したことでも知られる。