ここ1カ月間で、国内の映画賞3つで主演女優賞を受賞した、岸井ゆきの(31)のスピーチを聞き、感涙を目の当たりにして、その瞬間を文字にした。受賞した3つの映画賞全てで、受賞対象作となった「ケイコ 目を澄ませて」(三宅唱監督)で、岸井は生まれつき聴覚障がいながら、プロボクサーとしてリングに立ち続けるケイコを演じた。受賞スピーチには、同作の関係者への感謝…何より、映画そのものへの愛が、あふれていた。

2月1日 第96回キネマ旬報ベスト・テン発表&表彰式

「映画の現場では、自分が、どのようにシーンを捉え、共有できるか不安になる時があります。三宅組は、我々はこう考えるというところまで連れて行ってくれてから、進める。それが心強かった。練習だったり、体の重さ、痛みは自分だけのものと思ってしまう瞬間はあったけど、せーぇの、で踏み出せる現場で主演できた。たくさんの人に見ていただき、受賞できたのは光栄。これからも私は、みんなと一緒に映画を作っていきたい。誰もおいていかない現場で、良い映画作りに関わっていきたい。新しい挑戦をしたい」

同14日 第77回毎日映画コンクール表彰式

「情熱を注いだ者に、勝ち負けではなくて継続すること、静かに愛することを、重要だとした映画。でも、圧倒的に負けたくないという気持ちも、ケイコには、きっとあって。それは私が映画を思う気持ちと、とても似ていて。ただ、ただ、良い映画作りに関わりたいと、ずっと思っていた。この映画で、きっと出来たと思う。勝ち負けじゃない、と言いながら、いただけた賞を、認められた証しとして大事にしたい」

10日 第46回日本アカデミー賞授賞式

「三宅組でなかったら…誰ひとり欠けても、ここに立てなかった。私は、映画が大好きなんです。映画を見ることが大好きで、見ている時は、何語でもしゃべれるし、どこでも行けるし、何者でもないから好き。この作品には、見たことがない景色を見せてもらいました。まだ劇場でやってるんです。上映中なんで、見に行って欲しいんです。それだけが、私の望みなんです」

以前から、岸井の演技に心引かれるものがあった。キャストの中に、岸井の名前が入っている作品は、自然と追いかけるようになっていた。決して派手さはない、華美でもない…でも、凜(りん)とした強さ、実直さ、何より人として生きている鼓動を感じるからだ。

キネマ旬報ベスト・テン発表&表彰式から9日後の2月11日。映画「エゴイスト」(松永大司監督)公開記念舞台あいさつを取材した東京・テアトル新宿で執筆を終えた後、売店で、岸井が22年7月に出版したフォトエッセー「余白」(NHK出版)を買った。全202ページにつづられた53章を1日1章ずつ、読むことにした。

ネタバレが過ぎると怒られてしまうだろうが、映画が友だちであり救われたこと、プライベートを捨てて役と作品に没頭するため、俳優とは仲間になっても友人にはならないことなど、自分の思っていることを、自分の言葉で真っすぐに書いていると感じた。読み進めるのと並行して、取材した毎日映画コンクール表彰式と日本アカデミー賞授賞式で、スピーチで語った心情は「余白」に書かれたこと、そのものだと感じた。中でも、日本アカデミー賞授賞式のスピーチで口にした

「常に役、他者を演じることで、自分を見ることが出来る。現場でワーッとやって、家に帰って自分は何者でもないと思えるのが安心で。そういうので自分を見ている感じがして」

という言葉こそ岸井の本音、本質なのだろうと、つくづく感じた。

芸能界、特に銀幕の世界は華やかで、ある意味、浮世離れしたものだろう。その中心でスポットライトを浴びても、作品や役を離れた先に人間としての自分を持っている。だからこそ、役を離れ人間・岸井ゆきのとして立っていた、日本アカデミー賞授賞式の壇上で、感極まり「何をしゃべっているか、分からなくなった」などと本音を吐露したのだろう。それこそ、岸井ゆきのの人間としての魅力であり、そうした人としての実直さが芝居からも自然とにじむから、女優としても、きっと好きになったのだろう…。そんなことを、プレスルームで原稿を打ちながら思い、納得していた。

日本アカデミー賞授賞式の中で、最も行数を割いて書いた作品は、妻夫木聡(42)の主演男優賞、窪田正孝(34)の助演男優賞、安藤サクラ(37)の助演女優賞、作品賞など、最多8部門で最優秀賞を受賞した「ある男」(石川慶監督)だった。ただ、受賞一覧を眺めていて「ケイコ 目を澄ませて」と岸井ゆきのに付けられた最優秀主演女優賞の印は、光り輝く宝石のように見えた。「ある男」が圧倒的な成果を残した中で、数少ない日本映画の多様性を見いだしたからだ。

何より、受賞スピーチと著書につづった心情が、これほど寸分たがわぬ、岸井ゆきのという女優、人間が壇上で繰り返し口にした、映画への揺るぎない、純粋すぎる愛の言葉を、原稿に書き続けられた。その幸せな記憶は、俳優や製作者と同じ釜の飯を食っていると勝手に思って日々、映画界を走り回っている、映画記者として、この先も、ずっと忘れないだろう。【村上幸将】