歌舞伎俳優市川猿之助(47)の休演に伴い、中村壱太郎(かずたろう=32)がこのほど、「六月大歌舞伎」(東京・歌舞伎座)昼の部「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」に出演することが発表された。

夫で吃音(きつおん)の絵師と、支える妻の物語で、夫婦愛や創作の苦しみなどが描かれる。市川中車(香川照之)が夫を、壱太郎が妻を演じる。

若手女形をリードする役者の1人。壱太郎はこれまで妻役を1度つとめている。17年、若手による公演「新春浅草歌舞伎」だった。15年には、別の役で同演目に出演しており、この時、妻を演じたのが猿之助だった。壱太郎は若手絵師を演じていた。

歌舞伎俳優は、先輩と共演した時のことを非常によく覚えているもの。それは、いつかこの役を自分がやる、やりたい、という思いで見ているからだと聞く。猿之助が妻を演じ、壱太郎が若手絵師を演じ共演したのは8年前になるが、おそらくこの時の猿之助の演技は目に焼き付けているだろう。

その2年後に妻を初めて演じることになった時、取材で「あこがれの役の1つ」とし、夫の代わりにしゃべる場面も多いため「せりふに心情をのせて伝えていきたい」と話していた。演じる上でのポイントを分かりやすく語っていたのは、いつかやる、やりたいと思って見ていたからこそだろうと思った。

猿之助は壱太郎に信頼を寄せ、共演も多かった。現在、市川團子が代役主演している東京・明治座「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」にも出演しており、一人二役の重要な役を務めている。猿之助の信頼あってのキャスティングだ。

壱太郎の芝居には心が乗っている。泣きの演技では本当に泣いている(ように聞こえる)し、きりりとした女性も似合う。舞台で踊ればパッと華やかになるオーラもある。以前、坂東玉三郎は壱太郎について「かなり、踊りの勉強をして非常に勉強熱心だなと思います」と話していた。

芝居や踊りのレベルの高さに加え、歌舞伎に人を呼びたい、いろんな形の挑戦をしたいというマインドも持っているところに、猿之助との共通点を感じるし、猿之助が信頼を寄せている理由の1つだろうと思う。

コロナ禍では、モード、ファッション界で活動する異業種とコラボした新作歌舞伎を企画、総合演出し、有料配信した。現代劇にも出演し、新たなファン層を獲得している。

壱太郎にはもう1つの顔があり、日本舞踊吾妻流の家元で吾妻徳陽としても活動している。母が宗家徳穂で、母方の祖母は初代徳穂。5月28日に行われる吾妻流の会「アヅマカブキ2023」は全体の構成、演出を担うとし「日本文化としてやれることは、垣根なくやる時代」と意気込みを語っていた。

壱太郎にとっても、観客にとっても「六月大歌舞伎」で猿之助の代役を務めることは、状況から見て複雑な気持ちであるだろう。ただ、決まった以上は壱太郎の芝居がどんなものになるかをきちんと見ておきたい。【小林千穂】