和田アキ子(73)が3日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」(土曜午前11時)に生出演し、5月19日に大阪市内の病院で肺がんと間質性肺炎のため81歳で亡くなった、元タレントの上岡龍太郎(本名・小林龍太郎)さんを悼んだ。

和田は、番組内のコーナー「週刊ワダスポ」の中で「これは避けて通れないですけど、上岡龍太郎さんが、お亡くなりになって…昨日、聞いてビックリしましたね」と、上岡さんの訃報に触れた。「本当は、昨日のうちに、お通夜とか…今日も、これ(番組)が終わったら、お伺いしたいと思っていたんですけど、ものすごく固辞されていたみたいで、お別れの会もないと。とにかく、いろいろなことを固辞されている、本人たっての希望で、と」と、上岡さんとお別れが出来なかったことへの思いを、にじませた。そして「自分の誕生日会の時に、よく来ていただいて。たけちゃんと、真ん中に島倉千代子さんも座らせて、上岡さんが座って(島倉さんの)手を握って。私は(島倉さんを)『千代っち』って呼んでいたんだけど、トイレに行くフリして『アッコさん、助けて。おふたりの変なおじさんたちが、タッチばかりしてくるんです』」と、ビートたけし(76)と島倉千代子さんを交えてのエピソードを紹介した。

和田は、朝日放送(現朝日放送テレビ)で1975年(昭50)に関西ローカルでスタートし、77年からテレビ朝日系全国ネットで84年まで放送された、バラエティー番組「ラブアタック!」にレギュラー出演し、司会を務めた上岡さんと横山ノックさんと共演した。「『ラブアタック!』で、お世話になって。ノックちゃんと上岡さんには、よく遊んでもらった。(収録を)金曜日に撮りに行って金曜日に(東京に)帰ってきたんですけど、当時のABCの前にプラザホテルがあって、お茶飲んだり、お酒飲んだりしながら。ノックちゃんは(お酒を)一滴も飲めないんだけど、それは楽しかったし」と振り返った。「ラブアタック!」の収録時には「いつも会うと『ほんと、エラいな。よく頑張ってるなって』と」と励ましてもらっていたという。

また、関西テレビで75年~97年まで放送された「ノックは無用!」出演時のエピソードも紹介した。

「朝、出る時、昼の収録に前乗りして、みんなで麻雀して。私がきっちりした洋服を着ていて、麻雀屋のおばちゃんが、ゴムのスカートをはいていて『それ、貸して』って(借りて着て)やっていたら、みんなで中華、頼んで。出前の人が来て、側におるのに『和田アキ子、どこにおんねん?』って言ったら、上岡さんが『帰ったんちゃうか?』って。私、ずっと下、向いたまんま、手が震えた」

フリーアナウンサー垣花正(51)が、この日の放送前に見てきた、和田の20周年を記念しフジテレビ系「花王名人劇場」1時間スペシャルで放送された、ノックさんと上岡さんとの3人漫才にも話が及んだ。和田は「面白かったね。ノックちゃんの頭を延々、歌っていて『胸の痛みに耐えかねて』と歌った時、バチンとたたいたら、上岡ちゃんが『もうじき、割れるで。真ん中から割れると、卑猥(ひわい)だから、やめてくれ』って。(スポンサーの花王さんが、よう許したな」と笑いながら振り返った。垣花から「しかも、あれ、アドリブでやっているんですよね?」と問いかけられると「打ち合わせもしてないの。私も笑い転げて、涙を流したら、ノックちゃんが『ハンカチ、ハンカチ』って、舞台袖まで取りに行ってくれて。涙を押さえているのに、また殴ってるから。たたいてるのとちゃう、殴ってるんだよ。めっちゃ痛かったと思うよ」と振り返った。

「ラブアタック!」の地方ロケは、上岡さんと現地に一緒に前乗りしたという。「本当にお世話になって、かわいがっていただいて。北海道、行ったり、地方も行ったんですよ。待っている時も、ずっと一緒が多かった。札幌は、さっぽろ雪まつりの時に行っていましたから」と続けた。

人気が絶頂だった00年に、上岡さんが芸能界を引退したことについては「そういうこと、自分の中で持っていらっしゃったのね、きっと…」と心中をおもんぱかった。そして「ご冥福をお祈りしますとしか、申し上げようがありません。残念ですね」と、上岡さんの死を惜しんだ。