濱口竜介監督(44)が、最新作「悪は存在しない」(24年ゴールデンウイーク公開)でベネチア映画祭(イタリア)審査員大賞(銀獅子賞)を受賞した。世界3大映画祭と言われるカンヌ映画祭(フランス)とベルリン映画祭(ドイツ)に続き最高賞を争うコンペティション部門での主要賞受賞、そこに米アカデミー賞を加えた4つの大きな賞での主要賞受賞が、いずれも黒澤明監督以来ということで、同監督との比較がなされ、話題を呼んでいる。
驚異的なのは、4賞制覇に要した時間の短さだ。濱口監督は、21年3月に「偶然と想像」がベルリン映画祭審査員大賞(銀熊賞)、同7月には前作の「ドライブ・マイ・カー」がカンヌ映画祭で邦画初の脚本賞、22年3月には米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞しており、わずか2年半で4賞の完全制覇を達成した。
一方の黒澤監督は、1951年(昭26)年に「羅生門」でベネチア映画祭金獅子賞、59年には「隠し砦の三悪人」でベルリン映画祭最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞。76年に「デルス・ウザーラ」で米アカデミー賞外国語映画賞、80年には「影武者」でカンヌ映画祭パルムドール受賞と、4賞の制覇まで29年を要した。
イタリアから帰国した濱口監督は、9月12日に都内の日本外国特派員協会で、主演の大美賀均(おおみか・ひとし=34)とともに会見を開いた。席上で、司会からも黒澤監督と比較され、称賛された。記者は質疑応答で、黒澤監督に続く世界3大映画祭主要賞及び米アカデミー賞を含めた4賞の完全制覇を、同監督に続いて成し遂げたことに対する実感と、そのことが評価されていることへの受け止めを尋ねた。
質問する際に付け加えたのは、濱口監督が、そもそも評価については周囲がするものであると一貫して語っている、という前提だ。同監督は、世界3大映画祭での主要賞初受賞となったベルリン映画祭審査員大賞受賞後、21年3月6日にリモートで会見を開いた。質疑応答で、記者は「是枝裕和監督、黒沢清監督、河瀬直美監督に続く、日本映画の次代を担う才能として、世界各国で注目が高まっているそのことについて、どう感じているか?」と尋ねた。同監督は「その時の自分に撮ることが出来るものを、淡々と撮っていきたい。それをどう評価するかは周囲の問題」と答えていた。
愚問かも知れないと思いつつも、黒澤監督と比較されることを濱口監督がどう受け止め、感じているかは、恐らく、このニュースに関心を持った人々の、一定数以上が関心を持つところだろうと思い、質問した。濱口監督は「評価は周りにしていただける、という考えは変わらない」と答えた。そして「ただ、偉大なお名前を引き合いに出していただく状況になったので…」と、自らの胸の内を口外する意思を示した上で「申し訳ない…というのが正直なところです」と答えた。
その上で「なぜ、そう思うかと言いますと、黒澤明監督は内容が結構、違う」と理由を示した。濱口監督は、自らがベルリン、ベネチアともに金に次ぐ、銀…2番手の賞を受賞し、カンヌでは脚本賞だったことを踏まえた上で、黒澤監督について「(世界3大映画祭で)4つの賞を取られていて2つは最高賞。そこは全然、スケールが違う気がしています。比べものにならないとまではいいませんが、黒澤監督のスケールの大きさが表れた感じ」と評した。そして「30年にわたって(4賞の主要賞を)取られた。長く質の高い仕事を続けてこられたということ」と、黒澤監督の業績をたたえた。さらに「自分は、この先どうなるのかと震えている。評価をいただく必要は、ないのかも知れないけれど…長く作り続けていきたいと思っています」とまで語った。
「この先どうなるのか」。濱口監督が不安すらにじませたこの言葉は、映画業界の関係者が口にするなら、むしろ期待感だろう。演技未経験の女性4人が主演した15年「ハッピーアワー」が、ロカルノ映画祭(スイス)など複数の国際映画祭で主要賞を受賞。18年には商業映画デビュー作「寝ても覚めても」が、世界3大映画祭コンペティション部門では初となるカンヌ映画祭に出品。さらに企画と共同脚本を務めた20年「スパイの妻」で、東京芸大大学院時代の師・黒沢清監督が、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞した。世界3大映画祭コンペティション部門への初出品から数えても5年4カ月で、黒澤明監督に続く偉業を成し遂げた濱口監督。次回作が世界各国で待たれる、最も注目される日本の映画監督の1人であると言っても過言ではないだろう。
そんな存在になっても、濱口監督は、どこまで謙虚なのだろう…そうした声は、映画メディアの間からも聞こえてくる。同監督の謙虚さを、間近で感じたことがある。「ドライブ・マイ・カー」は、カンヌ映画祭脚本賞受賞から5カ月後の21年12月に日刊スポーツ映画大賞で作品賞、西島秀俊(52)の主演男優賞と2冠を受賞した。とはいえ、既に世界3大映画祭のうち2つで主要賞を受賞した後だけに、インタビューの冒頭で「日本国内の映画賞…しかも、34回を数えるにしても、スポーツ新聞の映画賞を受賞して、うれしいものですか?」と質問した。すると、同監督は「ありがたいとしか言いようがないです。本当にその2021年の日本映画の中で1番の賞、作品賞をいただいたということで本当にありがたいと思っています。うれしいです」と喜びを口にした。
「ドライブ・マイ・カー」は、その3カ月後の22年3月11日に日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含む8部門で最優秀賞を獲得し8冠に輝いた上、同22日には米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した。ただ、日刊スポーツ映画大賞で2冠を獲得した当時、国内の映画賞での受賞は、22年11月にTAMA映画賞で最優秀作品賞と三浦透子の最優秀新人女優賞を受賞したくらい。海外で多数の映画賞を受賞したことと比較すると少なかった、国内での受賞を喜んでもらえたのだと感じた。
インタビューの後、紙面掲載用の撮影をした際、濱口監督は盾を手にすると、しばし見つめた。盾には、黒澤監督が描いた絵コンテがレリーフ(浮き彫り)として使われている。1990年(平2)の映画「夢」のために描いた絵コンテで、主人公の「私」が天使に手を取られて飛翔(ひしょう)するという構図で、映画には登場しなかった幻のシーンが描かれており、日刊スポーツ映画大賞の受賞者には、95年の第8回から贈られている。そのことを説明すると「黒澤監督が描かれたんですね…」と感慨深げに口にした。
濱口監督には、日刊スポーツ映画大賞の贈賞と紙面発表用の取材のため、21年12月23日に東京・築地の本社まで足を運んでいただき、そこで黒澤監督のレリーフが埋め込まれた盾をお渡しした。あの日から1年9カ月で、濱口監督は感慨深げに見つめていたレリーフを描いた黒澤監督に続く偉業を日本、そして世界の映画史に打ち立てた。同時代を生き、機会があるごとに取材し、図らずも黒澤監督との“接点”を作ることが出来たこと…その1つ、1つが映画記者としての喜びだ。【村上幸将】