歌手湯原昌幸(76)が、来月6日にデビュー60周年記念の新曲「たそがれロマン」(さくらちさと作詞、森正明作曲、鈴木豪編曲)を発売する。昭和のスケール感たっぷりに、甘く切ない世界を歌い上げる。「ここ20年くらいは等身大の歌を歌ってきました。それを1回閉じて、次にどこに行こうとなった時に大人のラブソング。今までは曲作りに積極的に関わって来たけど、今回は一切口を出しませんでした。だから、すごく新鮮。発売前日に77歳、喜寿になりますが、また新しい世界に踏み込んで行きます」と意欲を見せる。

1964年(昭39)に日本テレビ系「ホイホイ・ミュージックスクール」のオーディションに参加して、グループサウンズ(GS)だったスウィング・ウエストのボーカルに。「基本はソロでやりたいと思ってたんだけどね。前歌兼バンドボーイで司会も勉強しろっていうことで。元々はホリプロ創設者の堀威夫さんとかがいたウエスタンバンドだったんですが、ビートルズやベンチャーズといった当時の時流に乗って、GSになって『ザ』を付けてザ・スウィング・ウエストに。結局、今思えばバンド時代にエレキをバックにそれに負けじと歌ってた。あの時に鍛えたから、今も声が衰えず元気に歌っていられる」と振り返る。

68年にスイングウエストで「雨のバラード」を発表。「神田の共立講堂でザ・スイングウエストの新曲発表会をやるのに『幻の乙女』っていうのを鈴木邦彦さんに頼んでできた。もう1曲頼んでたんだけど、できて来なくてリーダーになっていたベースマンの植田嘉靖さんが足りない1曲を書いたか、書いていた。それで『幻の-』のB面になったのが『雨のバラード』。ところが、ジャズ喫茶とかステージで演奏すると『雨バラ』の方がリクエストが多い。じゃあ、ひっくり返そうと『雨バラ』がA面で、『幻の-』がB面。だからレコードのジャケットは、新しく作って2パターンあるんですよ」

70年に解散。ソロになって71年に発売した「雨のバラード」がヒットチャート1位、累計120万枚の大ヒットになった。

「グループサンズのブームが終わって僕は1人でやりたいから、六本木と銀座で弾き語りをやりながらチャンスをうかがっていた。ヒデとロザンナの出門英が作った『今にわかるわ』っていう曲があった。これがいいなって話になって、結局でき上がってみたら『雨バラ』がA面になっちゃった。2回もB面スタートだったんだけど、売れ始めたら後は怒濤(どとう)の勢いですよ」。

73年に日本テレビ系「金曜10時!うわさのチャンネル!!」、74年にTBS「せんみつ・湯原ドット30」とバラエティーでも活躍。盟友のせんだみつお(76)と共演した。「最初からこの2人で組んでたんじゃないかくらい息が合った。男と女と一緒で、男と男でも感性が近ければ丁々発止できる。リズム、感性のやりとり、これがあったってことですよ。俺が、あっちに寄って行ったって言っても過言ではない。嫌いじゃないのよ。お笑いというか楽しいこと」

83年に13歳年下のアイドル歌手荒木由美子と結婚。当時は36歳と23歳の結婚は、大きな話題を呼んだ。「周りからは顰蹙(ひんしゅく)ものだったね。コンサートのステージの上で言葉を交わして、俺がちょっかい出したんだよ。シャンプーのコマーシャルで『フケなしね』って言ってる子だなと思って、後ろから肩をトントンったたいたらパッと振り向いたんで『フケなしね』って言ったらニラまれた(笑い)。それが初めて。その後、ロケ先で皆で酒を飲んでいて『お前、3年たったら俺のとこに帰って来いよ』ってわけの分かんないこと言ってたら、本当に3年後に結婚した(笑い)」。

荒木は引退して家庭に入ったが、結婚1週間後に湯原の母親が倒れて20年間介護をした。04年(平16)に「覚悟の介護」を出版したのをきっかけに芸能活動を再開。湯原と荒木は、芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。「ありがとう、感謝しかない。母親が施設に入ってからも、俺が行くと『今日、由美ちゃんは来てる?』だから。本当に助かった。介護の本を出したら講演の話が来て、今度はたまに俺の仕事にジョイント。そんなことがあってからいろんなオファーが来るようになった」。

歌、バラエティー、そして妻の荒木由美子と迎えた60周年。「順調なわけがないですよね。俺はジェットコースター人生。いい時だけがあるわけじゃない。『雨のバラード』が売れた時は、これが一生続くと思っていた。ところがアッという間だから、それはバンド時代も含めてキャーキャー言われてるのはアッという間に終わる。まぁ、これが常なんだなという風に思って、これを自分がどれだけ飲み込んで、どれだけいいものだけ残して、どれだけ悪いものを吐き出せるか、みたいなもの。そういう作業の繰り返し。だから、飲み込む度量は広がったよね。辛いことも、嫌なこともね。ただ、いいことをいつも頭に置いて、きっといいことあるだろうって思ってやって来た」。

60年間、ここまで来られたのは奇跡だという。「まずこの芸能界に入れたというのは奇跡だし、たまたまグループサウンズのブームが来たのも奇跡だし、『雨バラ』が売れたのも奇跡だし、由美子との結婚も奇跡だしね。そして、最後の奇跡が、この『たそがれロマン』で、今ここにいるっていうこと。自分の中では、これで終わるわけじゃないんだけど、今の段階では奇跡の最新版だね」

まだまだ元気。60周年は通過点に過ぎない。

「今思えば、短い気もするけど、いろいろありました。もちろん良い思いも、悪い思いも、辛い思いもしたけども、基本60年って言ってもピンと来ない。だからあと60年欲しいぐらい」

夢はオーバー100の現役歌手だ。【小谷野俊哉】

 

◆湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)1947年(昭22)3月5日、茨城県牛久市生まれ。64年バンド、スウィング・ウエストに加入してボーカル。70年に「見知らぬ世界」でソロデビュー。71年スウィング・ウエストの「雨のバラード」をリメークして120万枚超の大ヒット。73年日本テレビ系「金曜10時!うわさのチャンネル!!」。74年TBS系「せんみつ・湯原ドット30」。83年、13歳年下のアイドル歌手荒木由美子と結婚。03年「冬桜」がヒット。08年「いばらき大使」就任。