漫画家で、お笑い芸人「カラテカ」の矢部太郎(48)が、25年10月17日にSNSで「出版社をつくりました。」と、唐突に発表した。俳優として映画に出演するにとどまらず、映画愛好家でもある矢部と映画を通じて知り合い、良作などの情報を時折、交換してきた。そんな経緯もあり、投稿を見て、すぐに速報を書き、インターネット上に配信すると、間もなく矢部からお礼の連絡が来た。
付き合いがあったからではなく、投稿自体に興味を抱いたから原稿を書いた。まず、社名は「たろう社」。「小さい頃、絵本や新聞をつくって父と遊んでいました。いつも発行元はたろう社でした。そのたろう社をつくってみました。実際に」と、絵本作家の父やべみつのりさん(84)と遊ぶ中で生まれた架空の社名を、そのまま付けたところに夢を感じた。
社の設立と併せて発表した、第1回の出版物「光子ノート」の写真を見て正直、驚いた。辞典と見まごうばかりの分厚さだったからだ。「父の子育て絵日記ノート38冊を厳選。992ページ! オールカラー印刷! B6版! 3500円! という、ぶあつくて、かわいい本になりました」と紹介した、中身も面白そうだった。
原稿を書いてから2カ月後の25年12月に、矢部から「光子ノート」を献本したいとメッセージが届いた。ありがたく送っていただき、読んでみると、実に興味深いものだった。みつのりさんが、光子さんの成長の過程を、ひたすら描いている。保育園に行くなどの1日の動き、身近なもの、お出かけした話にとどまらず、光子さんの想像の世界まで描く。現実と想像の世界のはざまを時に行き来するような、子供の脳内をそのまま描いたような内容に、自分の幼少期がよみがえった思いだった。
感想を伝えたところ「光子ノート」の印刷を行った都内の八紘美術で2月21、23日にトークイベントを開くとのことで、23日の回に足を運んだ。同日は「光子ノート」の装丁を手がけた、本の装丁の第一人者・名久井直子さんと制作の裏側を語った。名久井さんは「家内制手工業のような感じで、できました」と制作を評した。その上で「矢部さんの事務所に(『光子ノート』が)全部、届いている。社長が決めてしまったので、社長が発送」と、矢部が自ら全国の書店に「光子ノート」を発送していることも明かした。
制作についても「とにかく、スキャンしろと。いいスキャナを買って、何千枚もスキャンしていただきました」と、矢部にスキャナの購入から求めたと明かした。矢部は「1枚、何十秒もかかる。後半は、間に合わなくて、主役のお姉ちゃんにも頼んだ」と口にした。実際に頼んだのは、トリミングの作業だという。
そう語る会場には、大人になった光子さんの姿があった。光子さんの娘も、手伝いをしていた。そして、この日も会場に足を運んでいた、みつのりさんが、サプライズで自作の紙芝居「かわださん」を実演した。ひとり出版社を始める人が増えていることがニュース、話題となっているが「原作含め、ここまで家族が関わっているのだから“かぞく出版社”じゃないですか?」と投げかけると、矢部は「そうですね」と笑った。
矢部は「光子ノート」の冒頭に、描き下ろした解説漫画を掲載した。その中で、1970年代にデザインやイラストを描く仕事をしていた、みつのりさんが仕事ではなく、ただ描いていた38冊のノートであると説明。ノートにも登場する、みつのりさんの友人の詩人・鈴木志郎康さんが「光子ノート」を描き始めた頃に読んだきり、誰にも読まれなかったこともつづった。そのノートを、矢部が21年の漫画「お父さんと僕」を描くのにあたり19、20年ころに読むまで、誰にも読まれなかったことも明かした。
さらに「光子ノート」を出版しようと思い立ち、出版社を回るも断られた中、自分で出版することを決意したことを描いたコマには「くそ くそ くそ くそ」と、怒りのせりふも書き込んでいる。そこまでして出版社を立ち上げて1人社長となった矢部太郎…でも、ひとり出版社「たろう社」を立ち上げた背中を支えているのは、間違いなく家族だ。「売れた類書がないと企画が通らない出版社の会議を経た書籍と違って、類書がないことが一番の強みだと思っております」と矢部が自負する「光子ノート」同様、なかなか類を見ない…ひとり出版社ではない、かぞく出版社だ。そんな矢部と、たろう社のことを、これからも見守っていきたい。【村上幸将】



