戦前、戦後を通じ70年以上にわたり映画、舞台で活躍、女優として初の文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず、本名美津=みつ)さんが9日午後7時55分、多臓器不全のため東京都稲城市の病院で死去した。95歳。大阪市出身。葬儀、告別式の日取り、喪主などは未定。

 新派の女形を父に持ち、6歳から芸事に親しんだ。1930年、13歳で日活に入社し「剣を越えて」で映画デビュー。34年に第一映画に移籍し、溝口健二監督の「浪華悲歌(なにわえれじい)」「祇園の姉妹(きょうだい)」で才能を大きく花開かせた。

 その後、東宝に転じ、成瀬巳喜男監督が第1回直木賞作品を映画化した「鶴八鶴次郎」などで長谷川一夫さんと共演、人気を不動のものにした。長谷川さんとは42年に新演伎座を結成し舞台に立った。

 戦後は映画で汚れ役にも挑み、成瀬監督「流れる」、黒沢明監督「蜘蛛巣城」「どん底」、小津安二郎監督「東京暮色」など、巨匠の作品で個性的な演技を見せた。

 60年代に入ってからは主な活動を舞台に移し「たぬき」「太夫(こったい)さん」で芸術祭大賞を受賞。初代水谷八重子さん、杉村春子さんと共に三大女優とも言われた。87年には200本を超える出演作から「狐狸狐狸ばなし」「香華」「淀どの日記」などがファン投票で「五十鈴十種」に選ばれた。

 テレビドラマでも活躍。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」などで風格のある円熟の芸を見せ、「必殺仕事人」シリーズにも出演した。93年文化功労者に選ばれ、2000年文化勲章を受章。

 私生活では結婚と離婚を繰り返し、一人娘で女優だった瑳峨三智子さんとの死別など、波乱の人生を送った。02年に体調を崩し入院して以降、一線から遠ざかっていた。