NHK「紅白歌合戦」フジテレビ「夜のヒットスタジオ」など数多くの人気番組を手掛け、「ドンドンクジラ」の愛称でも人気のあった放送作家の塚田茂さんが15日までに都内の病院で亡くなったことが分かった。82歳だった。数年前にすべての仕事から退き、脳梗塞(こうそく)で倒れて入院していた。この日、親族だけで通夜が行われ、16日に密葬が営まれる。喪主は令子(れいこ)夫人。

 関係者によると、塚田さんは脳梗塞(こうそく)で倒れて入院していた。順調に快方に向かっていたが、容体が急変したという。この日、都内でしめやかに通夜が営まれた。

 塚田さんは終戦直後、東宝に入社し帝劇の音響効果係でスタート。日劇で舞台演出などをした後、53年ごろから放送作家として草創期のテレビ界に進出した。「ロッテ歌のアルバム」「シャボン玉ホリデー」「夜のヒットスタジオ」「家族そろって歌合戦」「8時だヨ!全員集合」「お笑いオンステージ」「新春隠し芸大会」などテレビ史に残る数々の高視聴率番組を手掛け、ピーク時には週9本ものレギュラー番組を抱えた。ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ドリフターズ、三波伸介らの育ての親でもあり、「紅白歌合戦」では53年から86年まで構成を手掛けた。

 「夜の-」では「元祖出たがり放送作家」として度々顔を出し、盟友で司会の前田武彦が塚田さんの小太りな体形から付けた「ドンドンクジラ」のニックネームでも親しまれた。また、放送作家の企画制作会社を立ち上げ、高田文夫氏ら現在活躍する多くの放送作家を育成した。作詞も手掛け、ザ・ピーナッツ「銀色の道」ハナ肇とクレージーキャッツ「馬鹿は死んでも直らない」などのヒット曲がある。

 90年代初めにテレビの一線から退き、数年前まで「八景島シーパラダイス」などのイベント企画・構成をしたが、その後はすべての仕事から引退していた。