「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」「矢切の渡し」などのヒット曲を生んだ作詞家石本美由起(いしもと・みゆき、本名・石本美幸=いしもと・みゆき)さんが27日午前0時50分、心不全のため横浜市内の病院で死去した。85歳。広島県出身。60年に及ぶ作詞家生活で3500曲以上を世に送り出した。戦後の暗い空気を吹き飛ばし、永遠に歌い継がれる名曲を生んだ名作家が逝った。

 希望に満ちた歌詞で戦後の音楽シーンを駆け抜けた石本さんは、最期の瞬間まで創作意欲を失っていなかった。

 関係者によると、先月、遺作となった「女の旅路」(昨年9月発売)がキングレコードヒット賞に輝き、ブロンズのライオン像が贈られると、像を両手でなでながらうれし泣き。89年に「河内おとこ節」のヒットで世に送り出した中村美律子の再ブレークを、わがことのように喜んでいたという。

 石本さんは10年以上も前から糖尿病を患っていた。最近は視力の減退を起こし、激しい耳鳴りが頻発するようになったという。数年前からは自宅と病院を行ったり来たりの生活で、目に悪いからと、日光を遮るために部屋のカーテンは閉じたままだったという。2年前から入院し、妻や家族らに見守られ眠るように逝ったという。

 作詞家を志したのは第2次世界大戦中。暗い時代だったが、歌手東海林太郎の明るい歌声に感銘を受けたからだった。復員後は歌謡同人誌に投稿を続け「長崎のザボン売り」が作曲家の目に留まって48年にプロデビュー。同年に岡晴夫の「憧れのハワイ航路」が大ヒットした。国内旅行さえままならぬ戦後の貧しい時代、瀬戸内海に面した自宅の窓から海を眺めながら「自分もあの船でハワイに行きたいなぁ」と夢をふくらませた思いを詞に込めた。

 51年にコロムビア専属作家となってからは美空ひばり「港町十三番地」「悲しい酒」などを手掛けた。83年「矢切の渡し」(細川たかし)84年「長良川艶歌」(五木ひろし)と、日本レコード大賞2年連続受賞という偉業を達成した。9年前、弟子にあたる松井由利夫さん(享年83)が氷川きよしのデビュー曲「箱根八里の半次郎」を大ヒットさせると、「自分も負けちゃいられない」と病院のベッドでつぶやいて創作意欲を燃やしていた。

 「人との出会いで受ける刺激から作詞のイメージを育てる」がモットー。日本人の心情を明るく豊かに描き出すことに心血を注ぎ続け、24歳から60年以上をかけて3500曲以上を世に送り出した。

 [2009年5月28日6時38分

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