俳優藤田(ふじた)まことさん(本名・原田真=はらだ・まこと)が17日、死去した。

 藤田さんの名を最初に全国に押し上げたコメディー「てなもんや三度笠」の面々も、藤田さんの早すぎる死を悼んだ。同番組は藤田さんの「おれがこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」のフレーズが大流行した。

 白木みのる(75)は芦屋市の自宅近くで取材に応じ「本当にショック。今は実感がわかない」とぼうぜんとした。あんかけの時次郎だった藤田さんの相棒・珍念としてコンビを組み、2人の掛け合いが茶の間の笑いを誘った。「だんな(藤田さん)は私にとってはライバルであり仲間であり、戦友。2人とも貧しくてね、劇場の楽屋を出たらお客さんが落としていったお菓子がいっぱいあって。一緒に拾うて食べたこともあった」と思い出を語り「時間がたったら実感がわくかな。今晩あたり、思い出が吹き出て寝床で枕を濡らすかも」と語った。

 また、財津一郎(75)も「最後まで命燃やして生き抜いた先輩として、心から敬愛しています。ご冥福を心よりお祈りします」とコメントした。

 番組ディレクターだった沢田隆治氏(76=テレビランド社長)は「日本の芸能史にとって大きな人がいなくなりました。残念です」と肩を落とした。最高視聴率64・8%(関西地区)を記録するほどのお化け番組だったが「最初は裏番組が強くて、半年ぐらいは視聴率が取れずに苦労しました。主役が他の番組で脇役ではサマにならないからと、ほかの番組には出ないよう求めました。値打ちを落としちゃいけませんから。まさに背水の陣だったんです」と明かした。沢田氏は「70歳を過ぎてから大病になって、よく頑張ったと思います」とねぎらった。

 [2010年2月19日8時34分

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