東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市出身の歌手千昌夫(63)が6日、都内で取材に応じ、故郷の惨状と実家で被災した実母みどりさん(90)との再会の様子を語った。実家は海から約5キロ離れていたが、1階は津波に襲われた。無事を確認した母と避難先の盛岡市内で19日に再会するまで、不安な日々を送ったという。避難所を激励に訪れた千は「歌って」と被災者に願われたことを明かし、絶望の中で春の訪れが間近な東北のために代表曲「北国の春」を歌い続けることを約束した。

 3月11日午後2時40分過ぎ、都内での打ち合わせを終えた千は、帰宅のため車で一般道を神奈川方面に向かっていた。フリーハンドの携帯電話で仕事相手と話をしていた時、「今、赤坂はすごい地震だ!」と通話が切れた。ハザードをつけ停車した時、強烈な横揺れが襲ってきた。「(震源地は)オラの方(東北地方)だ」と直感した。

 テレビは、宮城県名取市を襲う津波を映し出していた。陸前高田市内は音信不通。年老いた母が心配だった。長く同居していたが「最後は故郷で一生を終えさせたい」と昨年5月に兄夫婦の住む実家に戻っていた。翌12日は90歳の誕生日。骨粗しょう症で約20年前から大腿(だいたい)骨をセラミックで留めていた。「地震でボルトが外れて、苦しんでいるのでは」。悪い想像ばかりが浮かんだ。

 そのころ、母は瓦の落下や家屋倒壊に備え、庭に移動した車の中に兄嫁と避難していた。海から約5キロ。津波より揺れに警戒していた。兄嫁は親族を迎えに車から離れ、母は1人になった。その後、後方からがれきを巻き込み土ぼこりを上げた津波が迫ってきた。

 宮城県気仙沼市に出かけていた兄が、地震後、すぐに車を飛ばし実家に戻り、車内の母を連れて高台のお寺に逃げた。直後に津波は庭をのみ込んだ。他人の車が家の中に流れ込んだ。

 千は「間一髪だった。陸前高田と気仙沼は車で飛ばせば約30分。地震発生から津波到達までの時間を考えると、兄は相当飛ばしたと思う」と振り返った。

 交通路は寸断され、母と再会したのは19日。めいの住む盛岡市内だった。千は「数日間、避難所にいたためか、大きな床ずれができていたが、良かったです」と声を詰まらせた。今、母は千の自宅にいる。「もう帰さないでしょう。最後まで…」と話した。

 27日に再び故郷を訪れた。チリ地震の津波を、千は中学1年のときに経験していたが、今回は想像を絶していた。「子供のころから知った町なのに、目標物がないので、迷子になった」。実家と海の中間点に立ってみた。「今までは松林や建造物で目をごまかされていたのか…。高台だと思っていたのに、海と実家の高さがゼロに見えた」。

 大船渡や気仙沼の避難所も訪ねた。「うちは8人死にました」「家はないです」。千に抱きついてそう語る被災者もいた。「歌なんか歌っている場合じゃない」と思ったが、「歌ってけろ!」という声が胸に響いた。千はうなずいた。

 「陸前高田の春は一気に来るんです。本当はそんな素晴らしい時期なのに…。でも僕は『北国の春』を歌い続けたい」と自身の思いを語る。被災地で戦う人、断腸の思いでふるさとを離れ全国各地に避難する人々の心に届けと、千は歌い続ける。

 <歌詞>あの故郷へ

 帰ろかな

 帰ろかな、と。【笹森文彦】