脳幹出血で倒れ入院104日目に亡くなった歌手桑名正博さん(享年59)の葬儀・告別式が30日、大阪市阿倍野区で行われ、出棺後には御堂筋約4キロを“パレード”し、沿道のファン5000人以上が見送った。パレードは桑名さんの知人だった葬儀社社長が提案し、妹晴子(56)が企画。葬儀委員長の内田裕也(72)は自ら電話し、橋下徹大阪市長(43)をパレードに参加させる“演出”にした。法名は「明月院釋響流(みょうげついんしゃくこおる)」。

 ファン有志のオープンカーに乗った内田が、大阪市内を走る幹線・御堂筋から手を振る。背後には、1メートル30センチ四方の桑名さんのパネル写真。後続に桑名さんが眠るひつぎを乗せた霊きゅう車が走る。音楽こそ流さないものの、沿道にはファンが集まり「桑名さーん、ありがとう」と口々に声が飛んだ。

 葬列車は大阪市南東部の阿倍野区の葬儀会場から、同中北部の市役所前までゆっくりと移動。パレード出発点となった市役所前には、橋下大阪市長の姿もあった。普段、公務中にネクタイを着けないが、喪服に着替えて黒ネクタイをした橋下氏は「(やしき)たかじんさんを通じて、応援させていただいていました。大阪のスターです」と語り、晴子、長男美勇士(31)らに求められて記念写真にも応じた。そして、親指を立てるサムアップのポーズでパレードを見送った。

 異例のパレードは桑名さんが、今回の葬儀を扱った葬儀社社長と飲み仲間だったことがきっかけだった。病院から、最初に安置された港区内の寺へ移動する際、同社スタッフが「ちょっと寄っていきましょう」と、なじみのラーメン屋や、好きだった大阪湾の見える場所などを通った。晴子によると、その後、葬儀社と交渉し、出棺後に桑名さんが愛したミナミの街も含む御堂筋を通るパレードが企画された。

 その上で加わった葬儀委員長の内田が「大阪といえば、大阪市長だろ」と、市役所に直接電話。当初、内田本人かどうか疑われたが、やっと秘書につながり「内田裕也本人だ。大阪のロックスターの最後だから手を合わせてやってくれ」と依頼し、橋下氏の参加が実現した。

 桑名さん、内田、美勇士らの車列は、市役所からゴールの難波(高島屋前)まで約4キロを20分かけて走行。警官100人近くも警備にあたった。【村上久美子】