「愛している。ありがとう」。3日に肺炎のため亡くなった歌舞伎俳優市川団十郎さん(享年66)の葬儀が6日、東京・目黒区の自宅で行われ、長男市川海老蔵(35)が喪主あいさつで臨終の際に家族が呼びかけた言葉を明かした。「父らしく笑顔で亡くなった。太陽のように優しい父でした」。葬儀には尾上菊五郎、中村吉右衛門ら400人が参列。団十郎さんは「成田屋!」の掛け声に送られて旅立った。本葬は今月末に行われる。

 海老蔵は喪主あいさつで団十郎さんが亡くなった3日の様子を明かした。容体が急変したのは午前11時すぎ。千葉・成田山で豆まきをしていた海老蔵はすぐ病院に駆けつけたが、いつも看病していた妹市川ぼたんは仕事で地方にいた。午後8時ごろに心臓の鼓動が止まりそうになったが、「ぼたんを父に会わせたい」と海老蔵、母希実子さん、妻小林麻央が、まだ耳が聞こえた団十郎さんに声を掛け、帰京までの1時間、心臓は動き続けた。ぼたんは病室に入ると「愛している。ありがとう」と声を掛けた。団十郎さんは安心したのか、午後9時59分、家族に見守られて息を引き取った。

 海老蔵は、白血病による2度の入院に続く、昨年12月の肺炎による入院にも触れた。10月公演で風邪気味だったため、12月の京都・南座「中村勘九郎襲名公演」で東京を離れることが心配だったという。しかし、団十郎さんは04年の海老蔵襲名公演中に白血病で休演した時、勘九郎の父中村勘三郎さんが病床の団十郎さんに海老蔵が頑張っていると声を掛けてくれたことに恩義を感じ、勘九郎襲名に花を添えるため、京都に出掛けた経緯を明かした。

 海老蔵は「優しく、おおらかで思いやり深く、自分をさておいて愛情あふれる人でした」「きつい闘病生活でございましたが、父らしく、笑顔で亡くなって、太陽のように優しい父でした」と続けた。

 出棺の時、菊五郎、坂東三津五郎らがひつぎを運び、悲しみをこらえて毅然(きぜん)とした海老蔵、位牌(いはい)にあたる霊璽(れいじ)を持つ希実子さん、遺影を抱いておえつが止まらないぼたん、花束を抱えた麻央、神籬(ひもろぎ=神が降りる場所を示すさかき)を持つ妹市川紅梅が続いた。大向こうから「成田屋!」「大成田!」の掛け声が飛び、団十郎さんの魂とともに涙雨の天空に消えていった。【林尚之】

 ▼主な参列者

 市川猿之助、市川段四郎、尾上菊五郎、尾上菊之助、河原崎権十郎、小泉純一郎、隈研吾、小坂憲次、中村歌昇、中村歌六、中村又五郎、中村米吉、中村吉右衛門、坂東亀寿、坂東玉三郎、坂東彦三郎、坂東三津五郎、松たか子、山川静夫(敬称略)