映画やドラマで個性派俳優として活躍した蟹江敬三(かにえ・けいぞう)さん(本名同じ)が3月30日午前8時27分、胃がんのため亡くなったことが4日、分かった。69歳。2日に近親者による密葬を済ませ、後日、お別れの会を行う。

 69歳で亡くなった蟹江敬三さんとは20代のころの仲間だった演出家蜷川幸雄氏(78)は、突然の訃報にショックを隠さなかった。仲人もした蜷川氏は、蟹江さんがいたから劇団を作ることもできたと言い切り、「がくぜんとしています」と話した。

 かつての盟友の訃報に蜷川氏は言葉を失った。「おれより9歳も若いし、おれより早く亡くなるなんて思わなかった」。

 最初の出会いは蟹江さんが劇団青俳の入団試験を受けた時で、蜷川氏は試験官だった。「がりがりにやせて、目だけはぎらついていた」。当時俳優だった蜷川さんが劇団内で初めて演出をした時、蟹江さんは当時決まっていた時代劇ドラマの出演を断って出演した。「チャンスだったのに、演出家になれるかどうか分からないおれの初の演出だからと言って出てくれた」。

 その後青俳を退団し、蟹江さんらと「現代人劇場」「桜社」を結成した。「蟹江がいたから劇団を作ることができた。蟹江1人がいてくれればどうにでもなると思ったし、蟹江となら心中してもいいと思った」。

 だが蜷川氏が東宝の大劇場で演出したことで、桜社は解散を決めた。「徹夜で話し合った。『これからどうする?』と聞くと、蟹江は『1人で生きていこうかな』と答え、そのまま別れた。普段は寡黙だけど、演技者としては冗舌な不思議な俳優だった」。

 その後一緒の仕事はなかった。出演舞台を見に行くと嫌がったという。「会うとよく『太って堕落するなよ』と言ったから、中年男になった姿の芝居を見られるのが嫌だったんだろうな」。【林尚之】