男女の濃密な性愛を描いた直木賞作家、渡辺淳一さんが先月30日午後11時42分、前立腺がんのため、都内の自宅で死去した。80歳。北海道出身。葬儀・告別式は親族で行った。後日、お別れの会を開く。喪主は妻敏子(としこ)さん。札幌医大在学中から小説を執筆し、70年に「光と影」で直木賞受賞。医療や歴史、恋愛などを題材に、多彩な作品を発表した。95年の「失楽園」は大胆な性描写を含み、260万部を超す大ベストセラーになった。

 渡辺さんは5~6年前から糖尿病を患い、精密検査を受けた結果、前立腺がんが判明。手術を受けず、投薬治療などを受けながら、執筆を続けていた。昨年末に体調が悪化し、連載やコラム、新作の執筆を中断した。自宅から通院し、治療に専念。担当の編集者には「体がいうことをきかない。書けないよ」と漏らしたという。別の関係者には「若い時には見えていなかったものが、見えてきた」と話し、「老人の性」など新たな題材での執筆に意欲を示していた。

 渡辺さんは69年に札幌医大講師を辞職し、文筆活動に専念。医療小説を多く手掛けていたが、80年代からは男女の愛を追求した恋愛小説も発表した。「化粧」「ひとひらの雪」「化身」などを刊行。中年男女の不倫をテーマにした「失楽園」は、大ベストセラーになった。役所広司と黒木瞳が主演した97年公開の同名映画は、興収23億円を稼ぐ大ヒット。同年末の流行語大賞にも選ばれ、社会現象を巻き起こした。

 作家人生の原点は、医師時代にあった。死を前にした患者が、愛する人に手を握ってもらって穏やかな表情を浮かべるのを見て、「死という不安や恐怖にかろうじて対抗できるのは愛だ」と悟ったという。死と表裏の関係にある愛を小説に書く。晩年のインタビューで「理屈で説明できないのが愛やエロスであって、好きになっていく過程の非論理こそが最も文学的。小説は説明するものじゃなくて、感じてもらうものなんだ」と力説した。

 渡辺さんの恋愛小説では、刺激的な性描写だけでなく、変化する男女関係、衰えゆく肉体、欲望、嫉妬、孤独などを表現。人間の本質を色濃く示した。「男女小説という永遠のテーマを持てたから幸せだったね」と語っていた。実体験がもたらすリアリティーを重視し、恋愛をエネルギーに小説を書いてきたという。

 80年には野口英世の人生を描いた「遠き落日」と「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞を受賞。松井須磨子をモデルにした「女優」など、明治・大正期の偉人を題材にした伝記作品も多い。恋愛や生き方を指南するエッセーも人気で「鈍感力」は当時の小泉純一郎首相が発言で取り上げたこともあって、流行語になった。

 ◆自宅は静寂

 都内の渡辺さんの自宅は、数人の一般弔問者が訪れた以外は静まりかえっていた。前日にも渡辺さんの家族に会ったという近所の女性は「長い間、闘病生活だったので家族は憔悴(しょうすい)しきっている。かわいそう」と話した。自宅は報道陣がインターホンを押しても応対がない状態が続いた。

 ◆渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)1933年(昭8)10月24日、北海道砂川町(現上砂川町)生まれ。札幌医大に入学した54年、最初の作品「イタンキ浜にて」を発表。58年、札幌医大卒。59年、医師免許取得。母校の整形外科講師として医療に携わりながら小説を執筆。65年「死化粧」が芥川賞候補、69年「小説心臓移植」が直木賞候補になり、70年「光と影」で直木賞受賞。80年「遠き落日」が吉川英治文学賞受賞。95年「失楽園」は260万部を超える大ベストセラーとなり映画化作品もヒット。「愛の流刑地」など話題作多数。03年、紫綬褒章受章、菊池寛賞受賞。