「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などを製作し、日本を代表するアニメーション作家として知られる宮崎駿監督(72)が、公開中の最新作「風立ちぬ」を最後に、長編映画製作から引退することが1日、明らかになった。コンペティション部門に出品中のイタリア・ベネチア映画祭の公式会見で、所属のスタジオジブリの星野康二社長(57)が明らかにした。6日に都内で宮崎監督本人が出席して記者会見が行われる。

 宮崎監督の引退は、日本から約9000キロ離れたベネチアで電撃的に発表された。「風立ちぬ」公式会見の最後、星野社長が「ベネチアは何度も招待していただいて縁があり、世界に友人が多い宮崎の発表をさせてもらいます。「『風立ちぬ』を最後に宮崎駿監督は引退することを決めました」と語った。質問は受け付けず、後日に会見を行うとだけ発表した。

 宮崎監督は過去に、作品完成のたびに引退をほのめかしてきた。97年「もののけ姫」の時は「未練があるうちにおさらばしたい」。01年「千と千尋の神隠し」の完成を報告した直後は「もう長編は無理。2時間の映画を3年かけて作るのはくたびれます」と体力の限界を訴えた。ただそのたびに周囲の説得を受けて翻意してきた。

 今回はスタジオジブリ側が正式に発表した。最新作が公開中であり、映画祭の公式会見での引退発表は極めて異例だが、今後撤回して復帰することはないという固い決意がうかがえる。

 アニメ制作一筋50年。CGが発達した今も、その瞬間の感情を大事にしたいと手描きにこだわり、身を削って描き続けた。「風立ちぬ」は原作となった模型誌の漫画から脚本を作り、1500カットに及んだ映画のコンテまで1人で手がけた。コンテをアニメ化するにあたりスタッフ300人が描いた動画は16万枚。これも入念にチェックした。激務の中、原因不明の体調不良にも襲われたという。

 今年6月24日に都内にある自身のアトリエで開いた「風立ちぬ」完成報告会見では、鈴木敏夫プロデューサー(65)が「風立ちぬ」を「宮崎駿の遺言」と評したことについて聞かれ、体調面に不安を感じているかのような発言もした。

 「遺言は死ぬ時に残すもの。もう少し生きようと頑張っていますから…それも分かりませんけど。アニメーションをやって50年。出会ったものが寄り集まってこういう映画を作れた」

 大震災の発生や長引く不況など現実を見つめると、得意のファンタジーを作ることに限界を感じるとも言った。アニメ映画は子供に向けて作るという信念を曲げ、大人向けに作り上げたのが「風立ちぬ」だった。「力を尽くして生きろ。持ち時間は10年。一生懸命に生きなければならない」という思いを込めた。試写を見た後、自分の作品では初めて泣いた。「情けない。本当にみっともないと思う」と照れ笑いした。体力の限界。現実と向き合うつらさ。一線を退く覚悟の涙だったのかも知れない。

 ◆宮崎駿(みやざき・はやお)本名同じ。1941年(昭16)1月5日、東京都生まれ。学習院大卒業後の63年に東映動画に入社。アニメーターとして活躍。71年に退社し、79年に「ルパン三世~カリオストロの城~」で初監督。84年「風の谷のナウシカ」で注目され、以後「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」「もののけ姫」とヒット作を連発。01年公開「千と千尋の神隠し」はベルリン映画祭金熊賞、米アカデミー賞長編アニメ賞を受賞し、興行収入304億円は日本映画歴代1位。