家人が猫好きで、多いときは5匹、飼っていた。


 「飼っていた」と過去形なのは、ここ数年で3匹は亡くなり、1匹はある日フラリと姿を消した。残る1匹は真っ黒なそれで、家人に言わせれば「かなりの高齢なのよ」ということになる。


 ペットも元気なうちは「かわいい、かわいい」と気楽なものだが、その死が近づくと何とも重苦しくなる。前述の3匹はいずれも病んで、動物病院で手当てをしたものの癒えぬまま、最後はやむなく安楽死を選ぶことにした。


 ペット霊園に葬儀を頼むと、その日のうちに段ボール箱を持ち込み、遺骸を納めると車で運んでいった。翌日焼骨し、骨を拾い、骨つぼを仏壇にあげた。


 近所に住む知人はジョンという名の、14歳の老犬を飼っていた。知人は生来の病弱で、ジョンがいつも付き添うようにして生活していた。そのうち、ジョンが体調を崩し、獣医師の見たては「膵臓(すいぞう)がん」であった。


 以前から、家人が知人に代わって、ジョンの早朝散歩を代行していたが、ついにそれもままならなくなり、入院手術ということになった。病弱な知人はジョンの見舞いに行けず、彼女の夫も日常に追われ看病がままならない。ジョンの闘病生活も3週間が過ぎた。手の施しようがないとのことで、当然安楽死が話題にのぼった。


 獣医師は延命治療を続けていたが、最終的に「ご家族の意向に沿いましょう」と受け入れた。知人の夫が立ち会い、病院内で安楽死ということになった。


 その時、知人を長年担当していた介護士がこう提案した。


 「1度、自宅へジョンを引き取りましょう。ひと晩だけでいいんです。人間だって、こんなときは家に帰りたいでしょう?」。年配の女性だったが、1歩も引かない口調だった。


 ジョンは自宅に戻ってきた。病院から車で運ぶ途中、「ウォーン、ウォーン」と泣き、ほえたという。玄関を入り、室内に入ってもほえ続けたが、知人がベッドからはい上がり、顔をなでてあげるとぴたりと泣きやみ、そして静かに眠り始めた。かつて寝床であった、ソファの上で寝息を立てた。それまでの苦しみようがウソのように消えたようだった。


 「不思議なものですね。やっぱり連れてきて良かった。安心したのかもしれない」と介護士が言うと、今度は知人たちが泣きだした。


 翌日再び病院へ戻り、午前11時安楽死した。大きな犬だったから、骨つぼも大きく見えた。


 知人のベッド脇で、今も手元供養されている。


 【文化社会部編集委員・石井秀一】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「新聞に載らない内緒話」 (2016年6月)