政府が東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出に踏み切ってから24日、1カ月が経過した。これを受け、中国が日本産海産物の輸入禁止に踏み切り、輸出減少に伴う売り上げの減少や、価格の影響への懸念もくすぶる。そんな中国側の動きを念頭に「非科学的な攻撃みたいなもの」と言及したのは、自民党の小泉進次郎元環境相(42)だ。

処理水海洋放出を受けた風評被害対策の一環で9月に入り、福島県南相馬市の海を2度訪れた。南相馬は日本有数のサーフ・スポットとして知られる。1度目は3日、子どもたちのサーフィン教室にプライベートに近い形で参加して波に乗り、処理水の安全性を示すために地元の海で自らサーフィンをする動画を、自身のインスタグラムなどに投稿した。2度目は17日、党サーフィン議連の幹事長として同僚議員らとサーフィンの国際大会が訪れた海岸を視察。視察後の取材に処理水放出やそれを受けた中国の対応などに対し、より踏み込む形で発信をした。

日本政府や岸田文雄首相は機会を見つけては、中国側に禁輸の即時撤廃を申し入れているとされる。そんな中で、サーフィンという手段を用いて海に入り、中国側に反論する形を取った進次郎氏に対しては賛否があるが、普段は厳しい声が多いSNSでも評価する声が上がった。1度目の訪問でサーフィンをした際、自身のインスタグラムに「パフォーマンスといわれても構わない」と投稿し、目を向けてもらうことを優先したことをにじませていた。

2009年の初当選時からしばらく、進次郎氏がその時々の話題やテーマについてぶら下がり取材で語るのが、恒例だった。党要職や大臣に就きその機会は少なくなり、環境相退任後は、自民党神奈川県連会長や国会対策副委員長という裏方の調整役となり、公の場で肉声を聞く機会はさらに減った。久しぶりにスポットライトが当たる形になった今回、福島や震災復興への今の思いを、久しぶりに耳にする機会になった。

東日本大震災と原発事故が起きた時、進次郎氏は野党自民党の当選したばかりの新人議員だった。2009年の衆院選で自民党は旧民主党に惨敗。政権を失った当時の選挙で初当選したのは進次郎氏と伊東良孝氏、斎藤健氏、橘慶一郎氏の4人しかいない。新人議員の時から震災や原発事故からの復興に携わる、自民党の数少ない議員の1人だ。最初は野党議員として、2期目以降は与党議員として、国会議員生活の大半に「震災からの復興」が重なってきた。

震災発生時に29歳だった進次郎氏は、自民党青年局長時代に「TEAM11」を立ち上げ、被災地訪問を続けた。当時からの交流、新たに生まれた交流は今も続くと聞く。個人的には、国会議員であろうがなかろうが、それぞれの立場でさまざまな関わり方があると感じているが、進次郎氏は当時から、若い自分だからこそ将来の復興を見届ける責任があるとたびたび口にしてきた。

国や東京電力はこれまで、原発の廃炉には30~40年かかるとしている。処理水放出についても同様の年月が見込まれているが、予定通りに終わるのかどうか、誰も見通せない。今、政権の中枢を担う総理大臣や担当の大臣も、「完了」を見届けられる立場にある人はほとんどいないだろう。そういう中で、新人議員の時から震災と復興に向き合う時間を長く持てる立場にある進次郎氏にとって、どんな形であっても目を向けることが、自身の責任の1つだと思っているのではないかと感じる。それが今回は、学生時代から親しんできたサーフィンという形になったのではないかとも感じる。

進次郎氏はかつて「平均寿命(男性は81・05歳=2022年)どおり生きれば、私は原発の廃炉まで見届けることができる立場」と述べ、被災地への取り組みは「ライフワーク」と話していた。16日の視察後の取材にも「処理水の放出はこれから何十年と続く。今はこうやって注目してもらっているけれど、間違いなくこれから注目度は下がる。それでも継続して地域の皆さんの声を聞いて、廃炉と、復興の最後まで取り組み続けることがいちばん大事」と話した。

「TEAM11」の活動時に掲げられたテーマは「継続は力なり」だった。言葉の持つ責任の重さは、これからもずっと問われ続けていくのだと思う。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)