幕末の寺田屋事件で坂本龍馬が幕府側に襲撃された際、現場に残したとされる書面に薩摩、長州の両藩が協力して幕府側を京都から追い払う取り決めがあったと記した文書が鳥取県立博物館で見つかったことが13日、分かった。下関市立歴史博物館(山口県)の田中洋一学芸員が特別展に向けた調査で発見した。

 慶応2(1866)年の寺田屋事件で薩摩藩邸に逃げ込んで難を逃れた龍馬の荷物の中に残されていたとされる書面に関する文書。識者からは、薩長同盟は軍事同盟だったのかどうかや、龍馬の関与の度合いなどが議論になっているとして「新たな見方を提供する文書だ」と評価する声が出ている。

 文書は京都などに駐在していた鳥取藩士が国元に送った報告「京坂書通写」の一部で、慶応2年2月7日付の文書。

 龍馬のものとされる書面には、長州藩は禁門の変で幕府が藩に科そうとした処分を受け入れないとし、朝敵扱いをやめるように嘆願するために兵を率いて上京する際には、薩摩藩が幕府側の会津藩を京都から追い払うことに協力するという内容が記されていたとした。

 この書面の存在は知られていたが見つかっておらず、中身も知られていなかったという。

 田中学芸員は「寺田屋や龍馬の潜伏場所は鳥取藩邸に近く、いち早く情報をつかめたのではないか」とみている。

 今回の調査結果は、下関市立歴史博物館で10月14日から始まる特別展「龍馬がみた下関」で発表される。(共同)