仁徳天皇陵として宮内庁が管理する日本最大の前方後円墳・大山(だいせん)古墳(堺市、5世紀中ごろ)を共同発掘している同庁と堺市は22日、周濠(しゅうごう)の内堤で精巧な石敷きや円筒埴輪(はにわ)の列が見つかったと発表した。墳丘は通常、崩落を防ぐため葺石(ふきいし)で覆われているが、堤にまで石敷きを施した例は初めて。古代の大王の権力を示すとともに、謎の多い巨大古墳の構造を知る画期的な発見だ。

石敷きは総面積約6万5千平方メートル(東京ドーム1・4個分)の内堤全体にあった可能性が高く、研究者からは「桁違いの労力」「大王墓にふさわしい壮大な設計」と驚きの声が上がっている。

宮内庁は同日、マスコミ各社と考古学研究者に現場を公開した。報道陣が大山古墳の内堤へ入ったのは初めて。

大山古墳には3重の周濠と、その間に二つの堤がある。周濠の水で浸食が進む墳丘や堤の保全計画を検討するため、10月から内堤の3カ所を調査。幅約2メートル、長さ28~31メートルの範囲で発掘した。

宮内庁によると、石敷きは3カ所全てにあり、堤の平たん面に白っぽいこぶし大の石が敷き詰められていた。周辺地域の石とみられ、築造当初のものと推測している。

平たん面の外側近くでは、地表面より約20~40センチ下で円筒埴輪(直径35~36センチ)の底部五つが築造当時のまま並んだ状態で見つかった。これまでに見つかっている円筒埴輪(5世紀前半~中ごろ)と同時期という。

1973年にも今回の調査区の約100メートル西で宮内庁が円筒埴輪を確認しており、堤全体を巡っていたらしい。堤は全周約2・6キロあり、約7千本が並んでいた計算になる。

大型の前方後円墳では、堤の外側と内側にそれぞれ円筒埴輪が並べられている例があるが、今回、内側では確認できなかった。周濠の水による浸食で既に崩落した可能性などがあるという。

このほか貴人に差し掛ける傘を模した蓋(きぬがさ)形、朝顔形などの埴輪片もあった。明治時代以降、大山古墳では女子や馬など5世紀中ごろの埴輪が多数出土。被葬者については論争が続いている。

宮内庁は陵墓を「皇室の祖先の墓」として立ち入りを制限しており、地元自治体が同庁の発掘調査に加わるのは初。宮内庁書陵部の徳田誠志陵墓調査官は「石材が地元産かどうかなど、堺市の担当者と現場で意見交換できて大変良かった。今後も保全のための調査は続けていきたい」と話した。(共同)