旧民社党委員長を務めた元衆院議員の塚本三郎(つかもと・さぶろう)氏が20日午前、老衰のため名古屋市内の自宅で死去した。93歳。名古屋市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男剛(つよし)氏。

中央大法学部を卒業後、家具製造卸業などを経て1958年衆院選で旧愛知2区に旧社会党から出馬して初当選。60年の民主社会党(後の民社党)結成に参加した。2回の落選を挟み衆院当選は計10回。党副書記局長を経て74年に党書記長に就任し、85年から委員長を務めた。

89年、リクルートコスモス株譲渡への関与を巡って委員長を引責辞任し、常任顧問となった。93年に落選。94年の民社党解党後、新進党に参加せず、自民党に入党した。97年、勲一等旭日大綬章を受章。2000年衆院選への出馬断念で政界を引退した。

「民社党のドン」と呼ばれた故春日一幸委員長の“秘蔵っ子”といわれ、地味な実務家タイプとして知られた。自民党との連携を重視する現実路線を主導し、民社党の「社」の字を抜く党名変更を唱えた。(共同)