自民党の故加藤紘一元幹事長が2000年に当時の森喜朗首相に退陣を迫った「加藤の乱」から20日で20年となった。名門派閥「宏池会」(現岸田派)を率い、首相候補と目された加藤氏だったが、倒閣運動の失敗を境に影響力が低下。宏池会はその後も首相を輩出していない。加藤の乱の際は共に宏池会の一員だった菅義偉氏が首相に就く一方、派閥を引き継いだ岸田文雄前政調会長は苦境が続いている。

加藤の乱は、加藤氏と、盟友の山崎拓元政調会長が仕掛けた「森降ろし」政局。両氏らは野党提出の森内閣不信任決議案に同調して政権転覆を狙ったが、当時の野中広務幹事長ら執行部の切り崩しに遭って鎮圧された。

不信任案に賛成するため、東京都内のホテルから国会に向かおうとする加藤氏に、側近の谷垣禎一氏(後に総裁)が「大将なんだから独りで突撃なんて駄目だ」と涙ながらに引き留めるシーンは今も語り草だ。加藤氏は衆院本会議を欠席し、不信任案は否決された。

これを契機に加藤派と堀内派に分裂。岸田氏は堀内派を経て12年に派閥会長に就任した。加藤の乱について「最後まで戦わずに一歩手前で撤退した。戦う以上は勝つまでやらなければいけない」と振り返り、首相の座に意欲を燃やす。

だが岸田氏を取り巻く状況は厳しい。9月の総裁選で菅氏に敗れて無役となった。派閥内の求心力も低下し領袖(りょうしゅう)として力量が問われている。岸田派ベテランは「主流派に挑む今の宏池会は加藤の乱に重なる。次は勝たなければならない」と危機感をあらわにした。(共同)