3月11日、発生から6年となる東日本大震災の津波により児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の遺族らが12日、仙台市内に集まり公開討論会を行った。七十七銀行女川支店被災者家族や日和幼稚園遺族とともに、風化しつつある失われた命から得た教訓を、あらためて話し合った。

 当時大川小6年だった長男大輔くんを亡くした今野ひとみさんは「どんな場所でも命を守ることが最優先。学校、幼稚園と安心して子どもを預けられる世の中にしてほしい」と語った。

 大川小遺族の一部は、石巻市と宮城県を相手に23億円の損害賠償を求めた訴訟を行い昨年10月、仙台地裁(高宮健二裁判長)は学校側の責任を認め、市と県に計約14億2660万円を支払うように命じた。しかし、判決を不服として市と県は同11月7日、仙台高裁に控訴。それを受け、遺族側も同9日に控訴した。

 1審で原告側は、生存者の聞き取りメモを廃棄するなどした行政側に対し「事実を隠してきた」と責任を追及してきたが、主張は認められなかった。それらについて納得はしていなかったが、控訴審では1審で認められなかった責任についても追及するとみられる。

 討論会には85年に起きた日航ジャンボ機墜落事故の遺族で「8・12連絡会」の事務局長、美谷島邦子さんも登壇した。当時小学3年生だった健くんを失った。1人で搭乗した飛行機が墜落した。空港で見送った際の握手。「今もあの時の、健の手のぬくもりが残っています」と語った。

 「つらいとき、人と人がつながっていることは心強いこと」と話し、裁判などで戦う震災遺族へ、自らの裁判経験などから「相手を責める事へのむなしさも感じた。それでも遺族の言葉が社会を変えます」と励ました。