2007年1月に小学5年生だった長女えみるさん(当時10)を交通事故で失ったタレント風見しんごさん(54)は、「死亡事故を減らしたい」と悲痛な経験を語り続けている。風見さんは、65歳でアルツハイマー病と診断され、13年12月に76歳で死去した父・大下政富さんを11年間、介護した経験もある。車の運転をめぐり、政富さんと大げんかをして、車の鍵を取り上げた。つらかった。それでも、今は、正しかったと思えるようになった。【聞き手・清水優】

 03年。広島市に住む父政富さんの親友から連絡があった。「お前のおやじ、少し様子が変だぞ」。親友を乗せて高速道路を運転中、一瞬、ブレーキを踏んだのだという。理由は「赤信号だと思った」だった。

 風見 物忘れも出てくる歳だよなという感覚でしたが、アルツハイマー病という診断で。本人は、次の日には、その診断のことを忘れていました。

 風見さんの父は広島で1人暮らし。車は必需品だった。

 風見 突然すべて忘れるわけではなく、当初は普通の生活ができる時間の方が長い。散歩も5回に4回は家に戻れる。でも、散歩中に「その一瞬」が来ると帰れない。まだ、事故の前で、えみるもいたころです。「その一瞬」が車の運転中に来ると怖いと思い、車の鍵は取り上げていました。

 しかし、04年に車の鍵が原因で大げんかになった。

 風見 「キーを渡せ。いくら息子でも俺の車を俺が運転するのをなんでお前が運転させない権利があるんだ!」と。父からしたら正論なんです。「かせっ!」ときたもんだから、僕、その時、初めて、親父を羽交い締めにして倒したんです。なんて声かけていいか分からなくて。「たまには若いモンの言うこと聞け!」としか言えなかった。

 建材溶接の下請けをする町工場を営み、風見さんを育てた政富さん。99年に妻登八子さんを亡くし、1人暮らしを続けてきた父を、力で組み伏せてしまった。

 風見 自分の親父をね、倒してね、転がして抑え付けた。すごく罪悪感があって。妻、えみるの前でもすごくへこんでいた。でも、事故の後じゃ遅いんですけど、えみるが、教えてくれた。あのけんかがなければ、ひょっとしたら、僕のおやじが、今の僕みたいな人を作っていたかも知れない。だから、あの時は、あれしか選択肢がなかったと、事故の後、そう思えるようになりました。

 相次ぐ高齢者の事故のニュースを見て思う。

 風見 「もう年だから運転は」って(助言することは)、嫌なものです。家族で決着するのは難しい。だから、社会で変えていくしかないと思います。「シートベルトをする」「飲酒運転はだめ」というのも、今では当たり前になった。社会は変わる。悲しいのは、そこには必ず、大勢の犠牲者がいること。本当は、僕みたいに後手後手ではなく、一手でも先手を打ちたい。

 だから講演では「自分や自分の家族は大丈夫という根拠のない自信は禁物です」と訴え続けている。

 風見 交通事故は選んでくれない。根拠のない自信が、一瞬でとんでもない結果を招くことがある。生意気に言っていますけど、半分以上は、自分自身に言い聞かせてるんです。

 ◆風見(かざみ)しんご 本名・大下義博。1962年(昭37)広島市生まれ。成蹊大在学中に芸能界入り。83年TBS系「週刊欽曜日」で欽ちゃんファミリーの一員に。同年「僕 笑っちゃいます」で歌手デビュー。94年11月に元ミス日本の荒井晶子さんとハワイで結婚。07年に当時10歳だった長女えみるさんを交通事故で亡くした。昨年、成人式を迎えるはずだったえみるさんへの思いを手記にした「さくらのとんねる 二十歳のえみる」(青志社)では事故後、家族がどう過ごしてきたかを記した。次女ふみねさんの存在が支えになったが「情けないですが1人でコンビニにも行かせられない」と今も続く不安や苦しさを明かした。