民進党の蓮舫代表は17日、自身の二重国籍問題について党本部で会見し、台湾籍の離脱手続きが完了し、日本国籍を選択したことの経緯を証明する、戸籍謄本の一部などを公開した。会見での主なやりとりは次の通り。

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 -なぜこのタイミングでの公開となったのか

 蓮舫氏 私が一貫して(戸籍公開に)慎重だったのは、(双子の)子どもが未成年だったため。「日本国籍の宣言」のページは、子供の(個人情報と同じ)ページだった。子どもはこの春に成人になったし、このことも話してきた。一部でも公表してもいいのではと、理解が得られた。

 また、私は一人の政治家というより、公党の代表として、国会で時の政権に強く説明責任を果たすよう求める立場だ。こういうことも勘案し、私の不安定な説明で疑いが持たれていることについて、一部を公開した。

 -惨敗の都議選を総括するブロック会議でも、今回の話が出ていた。都議選にも影響したか

 蓮舫氏 積極的に公開すべき、慎重にと、さまざまな声があった。ブロック会議がこの日で終わったということは、1つの区切りになった。都議選の敗因の主力な要因だったとは思わないが、発言の信頼について「本当なのか」と思われないようにしたかった。

 -来週でもよかった。日曜には仙台市長選、総理出席の国会の集中審議もある

 蓮舫氏 政治日程(の影響)はまったくない。判断したら、1日も早い対応が必要ではないかと思う。

 -戸籍公開の問題点

 蓮舫氏 戸籍はきわめて秘匿性の高い情報だ。安易に公開を迫られるものでも、強制的に示すよういわれるものでもない。今回、私が一部公開したことを前例にしてほしくない。

 -説明しないままに、ここまできて、戸籍の開示になった。初動段階で説明していれば良かった

 蓮舫氏 事実の確認、公的評価を混同して発言した。一貫性を欠き、あやふやなものとして(発言内容が)浸透したのは、私の発言によるもので、これが原点だ。私の発言が本当かと思っている人がいることは、事実。

 -(戸籍公開を拒否した)昨年秋に公開する選択肢はなかったのか

 蓮舫氏 昨年はなかった。子供が成人年齢に達していなかったことが大きい。

 -昨年秋に日本国籍の選択宣言をしたことは公表している。それだけで、なぜ説明責任が果たせていないと思ったのか。きょう新しく出てきたのは(宣言をした)日付だけだ

 蓮舫氏 去年秋の発言には、一貫していない説明がいくつもあった。(台湾籍放棄の手続きが)17歳だったか18歳だったか。こんな基本的なことすら記憶があやふやだった。だから選択宣言だけを発表すればいいというものではなかった。

 -2004年参院選出馬時の選挙公報には、「1085年に日本帰化」とある。結果として事実と異なる経歴を表示していた。公開はしたが、残念ながら国籍法違反が確定した。政治責任をどう取るのか

 蓮舫氏 国籍法に関しては、手続きを怠ったのは事実だが、故意ではない。17歳の時に日本国籍を取得してから、私は台湾籍は放棄したモノだと思っていた。その中で、公報にも、日本国籍取得を「帰化」と書いた。それ以上、深いものでもなかった。(<2>に続く)