平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開幕(9日)まであと6日。代表選手をサポートする関係者は、最後の追い込みに余念がない。デザイン・ペイント会社「ウッドアイ」の木目田(きめだ)豊代表は先月末、東京・羽田空港のベンチに倒れ込んだ。

 スキージャンプ男子で8回連続五輪出場となるレジェンド葛西紀明(45)の他、竹内択(30)、小林潤志郎(26)・陵侑(りょうゆう、21)兄弟、伊藤有希(ゆうき、23)、岩渕香里(かおり、24)と男女代表9人のうち、6人のヘルメットをデザインした業界の第一人者だ。3日間寝ずに作業し、最後の完成品を選手に渡した後、緊張が緩み、空港のベンチで寝落ちした。

 葛西とは知人を介して知り合い、05年の世界選手権からデザインを始めた。当時、選手の多くは無地のヘルメットを使用。日本のジャンプ界も98年長野五輪で盛り上がったが、その後は低迷していた。

 「2人でスキー業界を変えたい」。車やバイクのトップレーサーのヘルメットなどをペイントしていた木目田代表は「2輪、4輪レーサーにとってヘルメットは顔。ジャンプ界も地味よりも目立った方がいい。今では海外の選手も取り入れ、広がりが見え始めた」と手応えを感じている。

 デザイン案は毎回、葛西が提案する。五輪では06年トリノが「鳳凰(ほうおう)」、10年バンクーバーは当時のニックネームだった「神風」の文字を入れた。14年ソチは飛べる神という観点から「朱雀(すざく)」を描き、ラージヒルで銀、団体で銅メダルを獲得した。

 平昌では朱雀を2体にした。妻に加え、16年1月に生まれた長女璃乃ちゃんの分だ。少しでも金メダルに近づけるよう、使用する塗料をソチから2分の1以上軽くし、約25グラムに抑えた。完成には約1カ月かかった。

 ソチで復活した日の丸飛行隊。長野以来の金メダルへ、美しいヘルメットが選手の気持ちを後押しする。【三須一紀】