最大震度7を記録した北海道厚真町では8日も、安否不明者の懸命の捜索が続けられた。厚真町富里の農業佐藤泰夫さん(63)は、隣に住むいとこの正芳さん(66)の捜索を見守った。地震で自宅裏の山が崩落し、正芳さんの家は大量の土砂に埋もれ、跡形もない。見つかるまでは-。正芳さんの田植えを今年初めて手伝ったという泰夫さんの三男生海(いくみ)さん(23)と待った。日が暮れたころ、現場で男性1人が心肺停止で発見され、救急車で搬送された。

ミズナラの茂る小高い山のふもとの水田で、大きなモミをつけた穂が揺れる。いつもの初秋の風景は、一変してしまった。100メートル近い裏山が尾根近くから崩落。大量の土砂と倒木は、正芳さん宅をのみ込み、50メートル先の水田にまで積み上がっていた。土砂の中には、押し流されて、つぶれてしまった田植え機などの農機が倒れていた。

6日午前3時8分。正芳さん宅の東隣の自宅2階で寝ていた泰夫さんは「ものすごい音で目が覚めた」。窓を開けると、暗闇の中で山の木がずり落ちて行くのが見えた。すぐに1階に寝ていた両親の無事を確認し、1階の居間で両親と妻、生海さんと5人で夜明けを待った。朝、外に出て、正芳さんの家がないことに気が付いた。

泰夫さんは男ばかりの3人兄弟の長男。3歳年上で隣に住む正芳さんは兄のような存在だった。「子ども時代は一緒に裏山登って桑の実を食べたり、ブドウヅルでターザンごっこしたり、冬は板スキーで滑った。裏山は十勝沖地震でも崩れなかったのに…」。今も事態が、のみ込みきれない。

厚真町は昔からの米どころで、泰夫さんも正芳さんも、北海道のブランド米「ゆめぴりか」を中心に作る稲作農家だ。正芳さんは昔ながらの米作りにこだわり、田植えも稲刈りも遅かったが「今年の田植えは、なぜか集落で一番早かったんだよね」。札幌の大学を昨年やめ、実家に戻っていた生海さんに田植えを手伝ってほしいと、正芳さんの方から頼まれた。「面倒見がいいからなぁ。今思えば、息子のことを考えて、張り切ってたのかなあ」。

今月下旬には稲刈りを始めるはずだった。正芳さんと一緒に田植え機に乗った生海さんは「おじちゃんが見つかるまでは」と現場に残った。「また、来年も頼むぞ」。田植えの後、うれしそうに言った正芳さんの笑顔が忘れられない。

夕方、男性1人が心肺停止の状態で発見された。午後7時過ぎ、警察、消防、自衛隊の捜索隊が全員敬礼する中、赤灯を回した救急車が静かに出発した。泰夫さんと生海さんは、その後も現場を見つめていた。【清水優】