東日本大震災の被災地で、巨大な芸術作品が展示された。福島県浪江町の浪江青年会議所(JC)は14日、震災後に中断していた「標葉(しねは)祭り」を8年ぶりに復活させ、浪江町役場周辺で開催した。明治時代に標葉郡(現在は双葉郡の一部)に属した浪江町、双葉町、大熊町、葛尾(かつらお)村の名物や特産品に親しむ催し。数々のステージイベントや出店ブースを設け、東京電力福島第1原発事故で避難を強いられた人々が楽しんだ。

来場者をうならせたのは、縦約4メートル、横約6メートルのモザイクアートだ。4町村の震災前の代表的な風景を表現したもので、2センチ×3センチの小さな写真が敷き詰められている。地元の風景や学校の運動会、成人式、祭りなどが写り、震災前の日常が分かる。4町村で6400枚ずつ、計2万5600枚。同じ写真の重複使用があり、4万枚以上が色分けされ、並べられた。4町村の小中学校10校の生徒約100人が先月、1枚ずつ手作業で貼り付けた。

浪江JCの佐々木公一理事長(37)は「震災前の地元の風景を覚えていない子供たちも多い。その風景を伝えたかった。モザイクアートなら、子供たちが参加できる」と説明した。2011年(平23)3月の震災後、4町村は全域避難。浪江町と葛尾村では、帰還困難区域以外は居住可能になったが、帰還は進まず、避難中の子供たちの多くが、地元の風景を知らない。

双葉町のダルマ市の風景を見上げた60代主婦は、同町から福島県いわき市に避難中。「懐かしい。1枚ずつ貼ったなんてびっくり。感動」と涙目。浪江町から福島市に避難している46歳男性は「これは保存すべき。将来、復興記念館みたいなものができたら、飾ってほしい」と力を込めた。

政府の避難指示解除の目標は、22年春から23年春。帰還がどんなに遅れても、美しい故郷を語り継ぐ被災者の努力が途絶えることはない。【柴田寛人】

◆浪江町(なみえまち)1889年(明22)の町村制施行で浪江村が誕生。その後、周辺の村との合併を経て1956年(昭31)に現在の浪江町に。住民登録は9月末現在1万7736人だが、居住人口は848人。面積223・1平方キロ。吉田数博町長。