「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が今年7月、ユネスコ「世界遺産」に登録された。1549年、日本に伝えられたキリスト教は、江戸時代に禁教となった。信徒への厳しい弾圧の中、潜伏キリシタンはそれぞれの集落で独自に信仰を実践してきた。

長崎県南島原市の原城跡は1637年、「島原・天草一揆」の舞台。この地の領主の圧政に苦しむ農民と、弾圧・迫害に苦しむキリシタン約3万7000人が、立てこもった。幕府軍約12万5000人の総攻撃を受け、全滅した。幕府は鎮圧後、禁教をより徹底し、キリシタンが蜂起できないよう、城を打ち壊した。

92年、初めて発掘調査が行われ、多数の人骨が出てきた。幕府軍の鉛の弾丸をつぶして造ったと思われる十字架も発見された。研究も進み、城郭の構造や、本丸付近に竪穴住居があったと確認された。総大将だった天草四郎宅が本丸近くにあったことも、当時の熊本藩主である細川家が幕府に提出した「諸手仕寄(しょてしよせ)ノ図」で、明らかにされている。ただし、石垣や空堀などが残された城跡の土の中には、無数の無名のむくろがまだ眠っている。