東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に対する第36回公判が27日、東京地裁(永渕健一裁判長)で行われた。

この日は被害者の代理人弁護士が意見陳述を行い、その中で、原発事故後、バスでの10時間にわたる避難を余儀なくされ、バスの中などで亡くなった双葉病院(福島県大熊町)の患者たちの、当時の様子を赤裸々に語った。放射能汚染を受け、防護服を着なければならなかったため、栄養や薬を注入するカテーテルを外さざるを得なかった上、事故後の混乱や受け入れを病院に拒否されたことから、長時間の移動を強いられた患者たちの乗ったバスは「排せつ物の異臭が漂う中、シートの足元でなくなった方がいた」(代理人)など悲惨な状況だったという。

前日26日の論告求刑公判で、業務上過失致死傷罪の法定刑の上限となる禁錮5年が求刑された、元会長の勝俣恒久被告(78)元副社長の武黒一郎被告(72)と武藤栄被告(68)の3被告は、その話を顔色一つ変えず、粛々と聞いていた。

その一方で、勝俣被告が検察官役の指定弁護士をにらみ付ける一幕もあった。東電は07年に、政府の地震調査研究推進本部が公表した地震予測「長期評価」を取り入れた上での、津波対策の必要性を社内で意見を共有し、翌08年に土木調査グループが子会社の東電設計に分析を依頼した結果、海抜10メートルの敷地を大きく越える、15メートル超の津波が襲来する計算結果を得た。その中、経済産業省の旧原子力安全・保安院から、原発の安全性を再評価する「バックチェック」を求められていたが、その数字を福島県をはじめとした自治体などに報告せず、保安院にも東日本大震災4日前の11年3月7日になって明かしていた。

そのことについて、指定弁護人が「結果を公表すれば地域住民及び福島県は停止を求めたはずで、停止リスクを危惧したのでは?」と指摘すると、勝俣被告は一瞬、目つきを鋭くして不快感をあらわにした。

公判は、19年3月に弁護側が最終弁論をして結審する予定。【村上幸将】