被災地に希望と力を与えるラグビー・ワールドカップ(W杯)が「ラグビーの街」にやって来る。9月25日から岩手・釜石市で1次リーグ2試合が開催される。震災時、釜石高1年だった「釜石シーウェイブス(SW)」のロック高橋聡太郎(24)は卒業後、明大を経て再び故郷に戻った。生まれ育った町の復興と夢を楕円(だえん)球に託す。

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鉄の街をゆけば、遠くから、つち音が響く。ラグビーW杯の舞台「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」の芝に186センチ、95キロの巨漢は立っていた。「釜石のために何かできる人間になりたい」。高橋がそう誓った、あの日から8年目の春だ。

この地は奇跡と悲劇が交錯した特別な場所だ。鵜住居小学校と釜石東中学校が水没する中、生徒約600人が高台へ難を逃れた。一方で鵜住居地区防災センターに101人が駆け込んだが、水没した建物から幼稚園児5人を含む63人が遺体で発見された。同センターは避難訓練などが行われていたが正式な「避難場所」ではなかった。破壊された小中学校の跡地に復興スタジアムはある。

高校1年生だった高橋は悲嘆と絶望の街にいた。学校の体育館には家族の迎えを待つ約200人の生徒が冷たい床の上で何夜も過ごした。再会がかなわぬ者も少なくなかった。「見慣れていた道がなくなり、倒れた家の屋根を何軒も乗り越えた。何が何だか分からなくなっていた。映画か、CGの世界でした」。

父善幸さん(53)は明大プロップで主将、重戦車FWの要として活躍した。武骨にして屈強。「前へ」を掲げた故北島忠治監督から全幅の信頼を受けた。新日鉄釜石でプレー後に釜石SWのGMとしてチームを支えた。W杯開催は親子2代の夢だ。

震災から4年後の15年3月にW杯開催が決定した時点では国内12会場中、収容人数1万6000人と最少のスタジアムは影も形もなかった。「まだ仮設住宅に暮らす人もいる」「順番が違う」。釜石のスクラムは決して一枚岩ではない。

だが、新日鉄釜石時代に日本選手権7連覇を飾った「北の鉄人」のラグビー魂はクラブチームとなったSWにも受け継がれている。チームは震災直後から救援物資を運搬し、介護施設の老人たちを車いすごと抱きかかえて運んだ。前主将で元ニュージーランド代表アラティニらは本国からの帰国要請を拒絶し、釜石に残った。笑顔で汗する彼らの姿は街に深く染みついている。「めえさ(前に)、進むべ」。街はW杯に希望を託した。

復興スタジアムのスタンドには旧国立競技場や熊本県、東京ドームから寄贈された「絆シート」が600席設置される。全国からの支援のスクラムが紡がれている。津波に備え、海抜20メートルの高台に避難場所が設置されているのが特別な場所の証し。新日鉄釜石時代からの伝統で、スタンドは地元で富来旗(ふらいき)と呼ばれる大漁旗で埋め尽くされる。釜石は富来旗が乱舞する時を待っている。【大上悟】

◆釜石市の被災状況 東日本大震災の市の人的被害は死者993人、行方不明者152人の計1145人。津波による流出棟数は5985。1月末時点の人口は3万3787人で、震災前の2010年10月時の3万9996人から減少している

◆ラグビーW杯・釜石大会 (1)9月25日(14時15分キックオフ)フィジー-ウルグアイ (2)10月13日(12時15分キックオフ)ナミビア-カナダ

◆新日鉄釜石ラグビー部~釜石SW 1959年(昭34)に現在の新日鉄住金の前身、富士製鉄釜石製鉄所に発足した。新日鉄釜石時代の78年から84年まで日本選手権7連覇を達成。同ラグビー部は01年を最後に活動停止。クラブチームの釜石SWに移行し、社会人ラグビー「トップチャレンジリーグ」に所属する。釜石SWではサポート会員を募集中。詳細はhttp://www.kamaishi-seawaves.com

◆釜石鵜住居復興スタジアム 収容人数6000席(W杯開催時約1万6000席)。ハイブリッド天然芝を使用するメイングラウンドとサブグラウンド。西側駐車場の奥に津波などの災害に備えた緊急避難場所を整備している。JR釜石駅から車で約15分。岩手県釜石市鵜住居第18地割5番地1