ラグビーを通じて蔵王の活性化にトライする1人の男がいる。

特別養護老人ホーム「楽園が丘」などを運営する社会福祉法人大泉会の常務理事・松崎聡一(67)は、「蔵王楽園プロジェクト」と題してラグビー場4面を生かしながら、スポーツと福祉を軸にした街づくりを構想。学生時代から訪れていた「第2の故郷」で恩返しを誓う。【取材、構成・山田愛斗】

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青春をラグビーにそそいだ。松崎は元中大講師の桑原寛樹(92)の体育授業を受けた学生らによって1965年に創設された「くるみクラブ(東京)」に47年間在籍。NPO法人となった現在は専務理事として携わる。「人生を変えてくれた場所。生き方を教わり、この年齢になっても成長したい、現状維持はいけないと思わせてくれた」。また遠藤利明元五輪相(69)も同クラブOBで「(遠藤は)グラウンドの使用時間の割り振りなど、他の部活との調整でマネジメント能力を発揮していた。そのおかげで長い時間練習できた」と回想する。

自前のクラブハウス、グラウンドを持つ「ヨーロッパ基準」を目指した同クラブは71年、東京から遠く離れた蔵王に練習場を開設した。全盛期には部員約300人が在籍。合宿拠点として対抗戦の舞台になった。試合が白熱するあまり、けがで搬送されることもしばしば。近くには大泉医院(現大泉記念病院)1カ所しかなく、ラガーマン御用達の病院だった。

そして、お世話になっていた故高橋孝理事長が93年、同病院の110周年記念事業で楽園が丘を開設。5年前に「蔵王活性化と福祉施設を手伝ってくれる人はいないか」と交流の深い高橋から桑原に相談があり、松崎に白羽の矢が立った。自動車販売会社を経て自身で会社を設立していた松崎だが、学生時代から訪れていた蔵王への恩返しを決意。同クラブのラグビー場を生かして、スポーツと福祉を共存させる未来を提案し、地域活性化へ動きだした。

同クラブが蔵王エリアの円田地区に所有する2面に加え、遠刈田地区に2面を新設した。宿泊所も併設する既存グラウンドでは国学院久我山中、明治学院中(ともに東京)など5校が合同合宿を行ったり、6月にはカナダのクラブチームが練習試合で訪れた。また盛岡(岩手)の障がい者支援施設「緑生園」のラグビー合宿も20年以上続く。

遠刈田地区の新ラグビー場には、旧国立競技場のゴールポストを設置する。またグラウンド周辺を3年以内に「街」にすることを目標に、美術館だった建物を再活用。サービス付き高齢者住宅、診療所、温泉施設、レストランをつくり、近くの敷地には特産品などを販売するマルシェ新設も考えている。「街のためになることを幅広く考えるのは楽しい。面白い時間を過ごさせてもらっている」。さらに温泉、レストラン、周辺の蕎麦畑で障がい者の就労も支援。職業選択が限られる現状に危機感を抱く松崎は「特性、個性が生かせる場所で働き、何が興味を持てるのかを自分で見つけてほしい」と語る。

次世代のためにという思いも強い。4面を使ったラグビー大会を徐々に開いて実績を積み、将来的には2000年から福岡で開催されている高校生年代の国際大会「サニックス杯」の東北版実現を目指す。「ラグビーは『前に投げてはいけない、前に走ってはいけない』という理不尽なルールの中で、1人だけすごい選手がいてもダメ。15人全員で考えて強くなる。チームとしていかにチャレンジするかが大事で、対抗チームがあってレベルアップする競技。子どもたちが思う存分できる環境をつくりたい」。宮城県ラグビーフットボール協会理事を務めていることもあり、言葉に力を込める。

さらに「合宿の聖地」で有名な菅平高原(長野)のように、天然芝グラウンドがあり、陸上の高地トレーニングもできる環境を理想に掲げる。宮城と山形をつなぐ山岳道路「蔵王エコーライン」を生かして、箱根駅伝出場校を招いたり、周辺のスキー場を利用したマラソン大会も構想。「東北の菅平」を築くつもりだ。

落選となったが、現在行われているラグビーW杯の仙台誘致にも関わった。「テレビ局も新聞社も取材に来ていたので、落選は何かの間違いかと思った。日本中が盛り上がっていてうれしい気持ちと、絶好の機会を宮城で享受できない悔しさもある。それでも赤と白のジャージーを着て応援している人がたくさんいるのは夢のよう」と話す。

日本代表は15年のW杯で予選プール3勝1敗も準々決勝へと進めなかった。その教訓を生かして、今年は悲願の8強入りを果たした。「今までと同じことをやっていてはダメだと代表から刺激を受けた」。一生に1度になるかもしれない日本開催のW杯。チケットを購入済みだったが、グラウンドを荒らすイノシシ対策で観戦を断念した。隣接された小屋に1人で泊まり込むこともある。それでも蔵王がスポーツと福祉を通して「ONE TEAM」になる日を夢見て、松崎はどんな困難にもタックルし続ける。(敬称略)

◆松崎聡一(まつざき・そういち)1952年(昭27)5月14日、山口県生まれ。中大時代から、くるみクラブに47年間在籍し、自動車販売会社などを経て社会福祉法人大泉会常務理事。宮城県ラグビーフットボール協会理事などを務める。