発明家のドクター・中松氏(91=本名・中松義郎)が23日、都内で12月の例会「覚年会」と会見を開いた。覚年会には、自民党の今村雅弘政調会長代理が九州から駆け付けた。

今村氏は冒頭のあいさつで、復興相だった17年4月に東京電力福島第1原発事故の自主避難者の帰還について「本人の責任」と発言し撤回、謝罪も、東日本大震災に伴う被害について「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」と発言し、辞任したことに自ら触れた。「つまらんことを言って、復興大臣から落馬しました」と言い、会場の笑いを誘った。

今村氏は、自民党で災害対策特別委員会の委員長を務めている旨、自己紹介した。その上で「(この1年は)いろいろなところで、いろいろな災害が起きて大変だった。昔から日本はそういう国で、先輩も頑張ってきた。負けるわけにはいかない。しっかり取り組んでいきたい」と語った。

また、岸田文雄政調会長の補佐を務めている立場から「日本は内外ともに難しい問題を抱える。少子高齢化で国力が弱っている。“金持ちけんかせず”で、チャレンジ精神がなくなっている」などと持論を展開した。

「覚年会」では中松氏が、自ら作った

「初孫行進曲」

「ドクター・中松のうた」

「無遅刻無欠席のうた」

「世界発明武者修行のうた」

「ラブジェットのうた」

「増加しと毛のうた」

「歓喜の発明のうた」

「発明しよう」

「ガンの顔つき悪くても」

「勝利の日まで」

「中義会のうた」

の11曲を、会場の前方で参加者に声をかけながら熱唱。今村氏も最前列で着席しつつ、声を出して歌った。中松氏が「シンガー・ソングライターであることも忘れずに」と参加者に呼び掛けるのを聞き、今村氏は笑みを浮かべた。【村上幸将】