愛知県瀬戸市にある「ふみもと子供将棋教室」。ここに藤井聡太棋聖(17)の原点がある。5歳のときから指導した日本将棋連盟瀬戸支部長の文本力雄塾長(65)の指導方法は明確だ。普通の将棋教室では指導対局が中心だが、同教室では「将棋の定跡(じょうせき=最善とされる決まった手順での指し方)を覚える」「詰将棋を解く」「子ども同士で対局」。定跡や詰将棋など、地味ではあるが、基礎を繰り返すことで土台ができた。幼少時代の恩師が日刊スポーツに喜びの手記を寄せた。

おめでとう、聡太。子どものころとまったく変わらない、斬り合いを恐れず、踏み込む将棋。ほんと、気持ちのいい将棋だった。

聡太が教室の門をたたいたのは5歳の冬だった。お母さんといっしょにやってきた。髪が少し長く、くせ毛でカールがかかっていた。ほっぺが赤くて、ぷっくり。おでこが丸くて、かわいかった。

毎日、定跡を覚えてテストでは、記憶力の良さがバツグンだった。対戦相手もいないため、嫌がる子どもも多い詰め将棋だけど、一生懸命解いた。本当に速かった。「まだ問題がありますか?」。催促されてプリントを渡すと、全部、解いてしまった。基礎の繰り返しを、根気よく取り組んだ聡太は、人の5倍、10倍の努力をした。

幼稚園児だったけど、集中力の高さ、読み、思考の深さに驚いた。本当に何拍子もそろっていた。こんな子はいままで見たことがなかった。大げさではなく、日本で一番の子だなと思った。

教室には学業成績のいい秀才たちも通っていた。幼稚園年長の聡太がある日、秀才タイプだった小学6年の1級の生徒との対局はいまでも鮮明に覚えている。相矢倉戦で、聡太は細い攻めの手をつなげ、相手に1度も王手をかけさせずに攻め倒し、完勝した。みんなが帰った後、その子は言った。「あんな小さい聡太に負けて、ショックです。自信がなくなりました…」。

聡太の見切りはすばらしかった。秀才の上をいく天才。なんとも気持ちのいい将棋というのかな。生まれながらにしての名人、そういう素質を持って生まれてきた子なんだと思った。

小学4年の8月、奨励会に合格した。あいさつに来たとき「名人を目指すなら応援しない。この先、名人の上を目指すなら応援する」と伝えた。この先生はいったい何を言っているんだ? 聡太はずっと黙っていたね。

数カ月後、地元のラジオ番組にゲスト出演したとき「将来の夢は」に、「名人超えを目指す」と答えた。パーソナリティーは仰天した。そのことを伝え聞いて、私の言ったことの答えを聡太なりに考えてくれたんだなと。うれしかった。

高校に通いながらの初タイトル獲得は大きな意義があると思う。最大の敵は学業との両立による疲労だったんじゃないかな。10代は特別な世代。この10代うちに大暴れしてほしい。そしていつの日か、名人を超えてほしい。(ふみもと子供将棋教室塾長)

◆文本力雄(ふみもと・りきお)1955年(昭30)1月15日、愛知県瀬戸市生まれ。中学生時代に独学で将棋を覚え、社会人時代には名古屋の栄町にある板谷教室で腕を磨いた。はり・きゅう、リハビリ補助の仕事をしながら約21年前、小・中学生を対象とした「ふみもと子供将棋教室」を開く。現在は仕事を辞め、教室に専念。日本将棋連盟瀬戸支部長。