会津なまりの独特の“恒三節”で「平成の黄門さま」と親しまれた元衆院副議長の渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏が23日午前2時8分、老衰のため、福島県会津若松市の病院で死去した。88歳。告別式は近親者のみの家族葬で行い、後日お別れの会を開く。

「会津のケネディ」を称して1969年(昭44)、福島県議から衆院選に挑戦。無所属で初当選。83年、厚相として初入閣。自治相、通産相を歴任した。竹下派では小渕恵三、橋本龍太郎、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和の各氏とともに「七奉行」と呼ばれた。当選同期で誕生日が同じ5月24日の小沢氏とは盟友関係で、93年の自民党離党、新生党結成で行動を共にした。

96年に衆院副議長に就任し03年まで歴代最長の2498日、務めた。05年に民主党に入党。06年、「偽メール事件」で党が窮地に陥ると、国対委員長として事態収拾にあたった。「黄門さま」の愛称は国対委員長代理の川端達夫、平野博文両氏が「私たちが『助』『格』になってお仕えします」と話したことに、渡部氏が「由美かおるがいねえじゃないか」と言ったことが発端。倒れても起き上がる地元の伝統工芸品「起き上がり小法師(こぼし)」を後輩議員に送り激励するのが常で、岡田克也、野田佳彦、前原誠司、枝野幸男各氏らを「民主党七奉行」と呼び、後見役を務めた。

小沢氏とは新進党解党を機に決別。民主党でも「反小沢」の立場だったが、11年5月に開いた小沢氏との合同誕生会では「私に何かあれば、小沢くんに弔辞をお願いしたい」と語った。12年の衆院選に出馬せず政界を引退。その後も「ご意見番」として活動した。