チャレンジ精神は父から受け継いだ。橋本聖子五輪相(56)が10月19日に96歳で亡くなった父、善吉さんとの思い出を語った。子供の頃から厳しかった半面、それを乗り越えた自分が描いた夢や挑戦に反対することは決してなかった。【取材・構成=近藤由美子】

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父は農家の13人きょうだいの7番目に生まれた次男でした。長男は出征して中国で戦死してしまい、終戦後は長男格として家を守らなくてはいけなくなりました。与えられたフィールドを守る中で自分が思うことを精いっぱいやったようです。

パイオニア精神が強い人でした。牧場も経営しましたが、牛の買い付けに米国までよく行っていたそうです。外国の競走馬の受け入れや輸入なども、日本でかなり初期にやっていたそうです。競馬界のルールも変えさせてしまった。外国産馬は日本のクラシックレースに出られなかったのですが「同じ馬じゃないか。世界を受け入れる競馬をしないと日本の競馬は発展しない」と言っていたそうです。今は当たり前ですが、当時はびっくりするような発言でした。パイオニア精神を子供にも植え付ける人で、小さい頃から「誰もやったことがないことをやれ」とよく言われました。

うちは家族経営の畜産農家だったので、朝早くから夜遅くまで、畑仕事から馬や牛の世話をみんな交代でやっていました。生き物を育てるのは24時間で休みはないんですよね。交代で仕事を休んだりと、家族全員が仕事をしていかないといけない。うちにとっては日常的で当たり前のことでしたが、毎日がそういう厳しさの中にありました。

父は苦労したから今の自分があると思う世代です。子供たちには、日常生活の中で苦労させて乗り越えさせることで、精神力を鍛えようとした人でした。幼かった頃、子供にもできる小動物の世話や庭先の掃除、ごみ捨てが与えられた仕事でした。それを終えてやっと朝ご飯でした。また「体を鍛えないといけない」と裏山を毎日2キロほど走らされました。幼い私にはなかなかつらいことでした。

私は4人きょうだいの末っ子でしたが、大事にされた分、より厳しくされたというのもありました。会話は敬語、朝起きて親に3つ指をついてのあいさつは当たり前。反抗期はありませんでした。そんなことが許されるような状況ではなかったのです。

毎朝、ポニーに乗る練習があったのですが、馬具の装着は丁寧に教えてくれても、乗り方は1つも教えてくれませんでした。「馬は、走り方、性質、性格は全部違う。乗り方は馬に教われ」。最初は裸馬に乗せられていましたが、これは相当な技術が必要です。馬の呼吸を見て、ジャンプしないといけない。体で覚えないとできない。私がどのスポーツにも通用するようになったのは、今思えば、これが原点だったのかもしれないですね。

それでいて、褒めることも上手でした。「これができたから、これも次にできるだろう」と1つ1つ目標を高くするんです。そのたびに何度も怒られましたが、いつも私を思いやりながら怒ってくれたと感じています。

父は私が小さい頃から「世の中で人のためになって最高の職業は政治家だ。政治がちゃんとしないと全てがよくならないんだ」と言っていました。地元の政治家とのつながりも強く、親戚も衆院議員になりました。私の参院選出馬の決断は大賛成で、1番後押ししてくれました。

父の容体が悪化した今年夏ごろからは、時間をつくっては北海道の実家に帰りました。9月に五輪相再任が決まった時も喜んでくれ、全閣僚が並ぶ記念写真をベッド脇に飾っていました。訪問看護に来てくださる看護師さんにその写真を配っていたそうです。

64年東京五輪開会式を観戦し、聖火に感激して以来、私が五輪がどんなものなのか分からないうちから、ずっと「五輪に出るんだ」と言い続けていました。再び開催される東京五輪も開会式、特に聖火の点火を楽しみにしていました。延期になって「オレも頑張って見に行かないとな」と言っていました。最後は食べられなくなったことも原因で、一気に衰弱していきました。実は以前「自分の力で食べられなくなった時は助けるなよ」と話をしていたんです。最後まで強いところを見せたいと思っていたのでしょうか。

選手時代も、議員になってからも、いつも自分が決めた目標に向かう時、もともとパイオニア精神が強かった父に反対されることはありませんでした。五輪に冬も夏も出場したのも父から受け継いだものがあったかも知れません。自分が思うことをずっと続けさせてくれたことに感謝しています。(談)

◆橋本聖子(はしもと・せいこ)1964年(昭39)10月5日、北海道早来町(現安平町)生まれ。64年東京五輪開会式の聖火に感激した父・善吉さんが聖子と命名。父の方針で3歳からスケートを開始。冬季にスピードスケートで4回、夏季に自転車で3回と五輪に計7回出場。92年アルベールビル五輪女子1500メートル銅メダル。95年参院選自民党比例区で初当選。善吉さんは牧場を開き、名馬マルゼンスキーなどを輩出。