宮城県気仙沼市の酒造会社「角星」の日本酒「船尾灯(ともしび)」は、港町復興のシンボルとなった。

国の登録有形文化財に指定されている本社屋は津波で全壊。工場で奇跡的に生き残った日本酒の原料となる「もろみ」を使用し、被災後に新発売した救世“酒”だった。地元が大半だった同社の取引先は全国に拡大し、従業員らの生きる力にもなった。5代目社長の斉藤嘉一郎さん(62)は感謝の念を抱きつつも、震災10年となる今年限りでの製造終了も検討している。

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斉藤社長は、震災直後の命綱となってくれた「船尾灯」の瓶を、愛する息子を抱き締めるようにギュッと抱えた。「本当にありがたかった。でも、10年を機に、もう震災を引きずりたくない思いもある。震災のことを伝えていく必要はあるが、この商品を造り続けていると、いつまでもすがっていてはいけない…という気持ちになる。今年のぶんを造り終えたら廃番にしたほうがいいのか判断する時期。ファンもいるから悩むんだけどね」。創業115年目。“子離れ”を次への発展にも考えている。

11年3月11日。町は津波と火災で変わり果てた。本社屋は津波で全壊したが、少し離れた場所にあった工場で、発酵したもろみ状態だった酒のタンクが難を逃れた。本来は、さらに冷やす工程が必要だったが停電。想定以上に発酵が進んでアルコール度数は21・5%に。味も辛口となったが3月25日に完成。「震災を乗り越えた酒として名付けて、普段とは違う製法、味のまま商品化した。全国各地から注文をいただき忙しくさせてもらった」。7月までに約1万4000本を売り切った。

2年目以降は普通酒から特別純米酒に中身を変えた。震災前の取引先は地元が9割だったが、首都圏や関西からの注文も殺到。「おかげさまで、2年くらいは震災前より売り上げが良かった。従業員もやることが多くて気が紛れた」。新たな配送網が広がり「船尾灯」以外の商品も人気が上昇。現在は地元5割、仙台、首都圏、関西で5割。まさに復興の救世主だった。

「両國」と金色文字が記された歴史ある大看板も、斉藤社長の力となった。全壊の店舗の2階部分は、流されても近くで発見された。「残ってねえだろと思っていた看板が泥はかぶっても無傷だったのを見た時に、ご先祖様にここでやれと言われているのかと正直思いました。気仙沼で昔から商売やっていると魚町という住所にも非常にプライドがある」。同じ場所に再建することを決めた。部材を全部ばらして再利用。土地整備に約5年かかったが、登録有形文化財だったこともあって近隣ではもっとも早く、16年8月に復元。同11月1日から、本社屋での営業が再開した。

14年からは修業を積んで帰ってきた長男の大介さん(30)も支えてくれている。「今の機械は私よりも年取っているので、息子のためにも」。津波被害の補助金なども受けて、高台に新工場建設も始まった。この10年で、日本の食の変化がより顕著に表れ、酒類の需要も多岐にわたってきた。「地元産のぶどうやりんごを使った果実酒も計画しています。日本酒はもちろんですが、食事がおいしいと感じていただけるような酒を造り続けていきたい」。親子二人三脚で、新たな船出の汽笛を鳴らす。【鎌田直秀】

◆鉄道の復旧 東日本大震災では、JRや私鉄が多大な被害を受けた。東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域を通ることから、震災後9年にわたり不通となっていたJR常磐線の富岡~浪江間(20・8キロ)が昨年3月14日に運転を再開。震災による東北地方の鉄道不通区間は解消した。一方、岩手、宮城両県を走るJR大船渡線や気仙沼線の一部は鉄路の復旧を断念し、バス高速輸送システム(BRT)に移行した。国民的人気を博したNHK連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した三陸鉄道は2014年4月6日、全線で運転を再開。震災で不通になったJR山田線宮古~釜石間が移管され、19年3月23日に「リアス線」として開通したが、同年10月の台風19号で再び被害。昨年3月20日、台風被害から全線復旧した。