3月11日で、2011年の東日本大震災から10年になる。何度も東北を訪れているフリーアナウンサーの有働由美子さん(51)が、交流のある東北の女性たちへメッセージを贈る。有働さんが今伝えたい思いとは。(9日、10日、11日のお昼頃3回配信予定)

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震災の取材は、一瞬にして大切な人を失った人たちの言葉を、聞き続けるということから逃れられません。1995年の阪神・淡路大震災から多くの被災地に足を運んでいますが、経験するほど、1つ1つの取材の重みに耐えられなくなります。私に、その悲しみを聞き出す資格はあるのだろうか。私の質問のために、そのときを思い出してもらうことは、その人にとってはどういうことなのか、突きつけられます。


前川良子さん(左)に娘の美知さんの話を聞く
前川良子さん(左)に娘の美知さんの話を聞く

岩手県釜石市。漁業が中心の根浜地区で民宿を営む前川良子さん(68)に初めて会ったときは、震災直後のあるメディアの取材姿勢に怒ってもいて、そんな話を泊まりがけで聞き、遠距離での付き合いが始まり、休みをみつけては釜石にうかがい、世間話をして帰ってきました。

津波で行方不明になった娘の美知さん(当時32)を、泥だらけの体育館で、並んだ遺体の中で見つけた時の詳細な様子や気持ちを聞くのに3年近くかかりました。

「どん底を見た。何百という遺体をみて、右に左に亡くなった人がいて。遺体に会ったときは、あまりの様子に、すぐには涙も出なくて、10日も見つけられなかったことになのかな、なんだか腹がたって。なんともいえない気持ちでしたよ。あんな思いはほかの人には誰もさせられない。させたくないんだよ」。良子さんが打ち明けてくれた言葉が、とげのように胸に刺さって取れませんでした。

一方で、いつも娘さんを語るときは、今もすぐそばに笑っているかのように話します。

「高校生の時はね…、小さいときはね…、面白い子でね…、正直な子でさ…」と話は尽きません。「いつもニコニコ周りを楽しませているから、先生に怒られた時も『ニヤニヤするな』って言われて『先生もとからこんな顔です』ってクラスを大笑いさせたりするような娘」。聞いていると、楽しくてついつい大声で笑い合うほどです。

津波が奪ったのは、目の前に当たり前のようにあった、ふつうの暮らし、当たり前の幸せ。

良子さんから預かった「ほかの人に同じ思いをさせたくない」という言葉を私はどう1人でも多くの人に届ければいいのだろうか、と考え続けます。


「民宿前川」で前川昭七さんと良子さんと一緒に
「民宿前川」で前川昭七さんと良子さんと一緒に

自分のインスタグラムで、10年前の根浜の、あの日までの1カ月の、日々の暮らしを追体験のようにして東北弁で話し、描くことにしました。1カ月は三陸のおいしい食べ物の話や良子さんの話など楽しく描けたけれど、3月11日その日を描くのはつらいものでした。けれど、聞かせていただいた言葉をそのまま届けることにしました。

良子さん、震災の取材とは「失ったものを聞くことではなく、その前にあった当たり前の時間を聞くことだ」って教えてくれてありがとうございます。

その思いに届いたかはわからないけれど、お父さんの昭七さん(68)とインスタを見て私の下手な東北弁を笑ってくれているって、いうから大丈夫なんだべな。

これからもお話を聞きにうかがうつもりです。【有働由美子】


◆有働由美子(うどう・ゆみこ)日本テレビ系「news zero」キャスター。元NHKアナウンサー。東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター客員研究員。防災テーマのインスタグラム https://www.instagram.com/udoyumiko/ ニッポン放送「うどうのらじお」毎週金15時30分~。「文藝春秋」マイフェアパーソン。